music: June 2009 Archives

今日の業務は打合せからスタート。某RZバンドの件。
日本には珍しい種類の素晴らしいバンドなのだけど、抱える問題も大きそうな。思わず「バンドって難しいですねぇ・・・」と当たり前のことを口走ってしまった。
今週のリハーサルに立ち会って『経過観察』と行く感じです。

その後は元BOOWYのドラマー、高橋まことと対談。
久しぶりに会うまこっちゃん、もちろん相変わらずなのだけど、何と対談用に昔の手帖を持参! それは1985年の能率手帖。BOOWYと初めてやった3rdアルバム『BOOWY』のレコーディングをした年。日々のできごとを小さ〜な字で(しかも予想外にきれいな字)びっしりと書かれている。レコーディング初日には、ドラムセットのセッティング図まで細かく書かれていてちょっと感動。ツーバス(バスドラムが二つのセット)だったなんて全く記憶に無かったなぁ。
久しぶりに昔話に華が咲く。
当時のマネージャー、ビッチャンももちろん同席。が、途中フェードアウト・・・が、夕方に偶然事務所界隈で発見!逃げても無駄さ〜(笑)。

その後は歯医者さん。
最近今までずっと通ってたところを止めて、通い始めた女医さん。
アシスタント(歯科衛生士だか技工士だか)の女性2名とやっている小さな町医者なのだけど、治療室に入るとびっくり! そこはもう異空間。旧語で言えばハイテク。でももっと不思議な、エヴァンゲリオンの様なちょっと秘密基地めいてもいる。その女医さん、どちらかと言えば医者よりは弁護士の様な、とにかく聡明でキリリとしていて、どこにも迷いを感じさせない口調のスレンダーな美人。アシスタントの女子2名もキュート。。。これで人気出ないわけ無いよね〜・・・な歯医者さんであります。案の定予約はいつもビッシリ。今までの歯医者さんは全てにおいて、ここと真逆だったので更に異質に感じる。
今週末から早川義夫さんと九州ツアーなので、次の予約はずいぶん先。

さて、その後しばらく連絡待ちで待機してから unsuspected monogram のリハーサルへ。うむ、今日は見事なスケジューリング。

今日もいつも通り、各楽曲のひたすら地味に真面目に、かつ大胆にふざけながらの練習。モノになって来た曲、まだまだほど遠い曲と様々。いずれにせよ相変わらず本当に難しい。
途中打合せを挟んで、4時間みっちりリハーサル。
その間に某女性からずっと待っていた電話がかかって来た。とても嬉しい連絡で”ホッ”と一息。

で、明日もこのメンバーでのレコーディング仕事。諸般の事情により朝11時集合。
ガンバロー!!

composing

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*)バンド(unsus) の web がどうにか立ち上がりました。まだ情報も何も無いし、装丁もまだまだですが、とりあえずスタート(見切り発車?)です。

http://unsuspected-monogram.com
長い目で見てやって下さい!


さて。
ここ最近急に作曲作業が増えて、日々かなりバタバタな状態ではあるのだけど、音楽をやっていられるだけでも(ライブも含め)本当に幸いな事だなぁ、と改めて感謝しています。

作曲に関しては「いつでもどこでも、その気になれば必ず作れる!」を心情・立て前としてずっとやって来た。その場のその瞬間のインスピレーションさえ逃さなければ(一瞬に集中できれば)いつでも可能だと。出来不出来は別の話なのだけど。

つい先日唐突に思いだしたこと。
昔(確か18か19歳のころ)当時やっていたバンドにレコーディング(今で言うメジャー・デビューにあたるのかな)の話しが来て、当時のSONYの有名プロデューサーの方と話しをする機会があった。その時言われたのが、
「二十歳越えたら急に作曲ってできなくなって来るから、今のうちにどんどんストック溜めておいた方がいいよ」と言った趣旨の内容。
「ふ〜ん、そうなのかも知れないなぁ・・・」と思いながら、実際には釈然としない気持ちを抱いていたのを思い出す。と同時に「じゃぁ、30になろうが50になろうが関係なく、今の気持ちで音楽を作り続けていられる人間になってみせる!」と本気で意気込んだ。

多分中学生の頃からか、ちょっとした拍子にどんどん音楽が湧き出てくる様な体質(?)になっていた。絶好調だったのが部屋の掃除をしている時とか、買い物の道すがらとか、学校の帰り道とか。自分の意識(集中)と関係無く、それこそ湧き水のごとく、頭の中にいくらでも音楽が湧き出てきた。もちろん、それがいい曲であったか否かは別問題で。

前述のプロデューサーの方から言われた話しから「確かに今までの湧き水の様な音楽の出て来かたからは変わっていくのかも知れないなぁ」とも感じた。

その予感は当たっていたけれど、それでもいつでも作れる能力(?)はこの年になっても幸い生き続けてくれているようだ。

いつでも作れる・・・けれどそれは「いつでも悩んでいる」と実は同義語だと思う。作る行為は「苦悶し」「葛藤し」「精査し」「興奮し」「妥協し」「何度も何度も出発点と己の足下を顧みる」様なこと。
湧き水状態で無い限り、とてつもなく疲れる行為だ。そして、湧き水では誰も説得できないことを知っている。

そんな作曲活動の日々。悩み苦しみ、焦り(これは職業だからかな?)、動転し、無駄な程に自分を疑い・・・。そんな中、どうにか自分の居場所を見つけられる楽曲を作る作業。
こんな苦しいことも、こんな楽しいこともなかなか無いな、と思いながら日々邁進。

ところで、先日からの175R作業が一段落。
とても良いモノが出来たかな。

ask sakuma a question のページに BrazilのJoão君(さん?)から以下の書き込みがあった。(以下、長くなります)

I think that on japanese rock(or music in general) the bass really stands out , sometimes being in a main role on the music, kinda different then on western where it's often hidden on the mix.I realize that on rock bands from the 80s and 90s(specially visual kei bands) but also on old bands like Happy End and Off Course, do you think there is any particular reason for that?(ok, I know that's a really silly question)

【訳:日本のロックでは(あるいは全般的に)ベースが飛び抜けて大きく感じます。時には音楽のメインの役割を担ってしまっているほどに。通常ベースはミックスの中に隠れてしまう西洋の音楽のバランスとは違って。そういうロック・バンドが80年代~90年代(特にビジュアル系)に多く見られると思うのですが、”ハッピーエンド”や”オフコース”と言った古いバンドにも見受けられます。その特異性の理由って何なのでしょうか?(すみません馬鹿げた質問で)】

考えてみた。とても”馬鹿げた”質問などでは無いと思えた。これは日本の音楽の特異性・特殊性(欧米に対し)のある一面を見事に捉えた質問なのじゃないだろうか。

80~90年代の日本ロックに関しては僕自身認識していることでもあるが、それらに限らずハッピーエンドやオフコースと言ったものも、と言う指摘に驚いた。
ハッピーエンドに関してそういう認識は全く無かったので確認がてら聴いてみると、もちろん楽曲にもよるが、ベースが異様に大きいものがある。僕のイメージでは細野さんと言うベーシストはむしろミックスの中に埋もれるベースを指向するイメージがある。にも関わらずこのバランスは確かに異常だ。何故に?優れたベーシストだったから?否!

そう思うとハッピーエンドと同時代、四人囃子の一枚目(僕では無く初代ベーシスト中村慎一時代。自分の演奏に関してはある種客観的な判断が難しいので)も、例えばピンクフロイドなどと比較すると明らかにベースラインに耳が行くのは確かだ。

僕がベースを始めた頃(確か1973~4年頃。四人囃子の前のバンド、MythTouchからベースを始める。それまでは12歳からずっとギタリスト)実はベースの存在意義があまりよくわからなかった。ひとつには自分が邦楽(長唄)どっぷりの環境に育ったせいもあるかも知れない。知っている限り邦楽にベースと言う概念は無い。ギターよりずっと前に三味線をやっていたので、アンサンブルの中にベースと言う概念は全く無かった。コードの概念すらも曖昧だった。
なので、ベースを始めたものの何をどう弾けば良いのか、しばらく暗中模索。考えられたのはクラシックにおける低音の役割(いわば、ピアノの左手?)実際そういう感じのベースからスタートした。低音楽器の真の役割など知るよしもなく、音程を聞きとりづらいからとアンプのベースをカットしトレブルをめいっぱい上げたベース音で演奏していた。

その後四人囃子に参加しても、まだよくわからないままに続けていた。それが『ゴールデン・ピクニックス』と言うアルバムの制作中「レディ・バイオレッタ」と言う曲を演奏しながら突然悟った。何故にベースが必要なのか、その存在理由と必然を。
その日以来、実に自由にベース演奏が出来るようになった。長年ギター弾きだったのに、ベースの方が楽に演奏できるようになった。
その時知った重要なことのひとつが「ベースは聴こえなくてもいい。存在していればいい。」の様なことだった。

それから何十年も経ってその意識を再度実感したのが、ポール・マッカートニーの東京ドームの公演時。ポールがベースを弾くと、ベースが聴こえなくなる!でも明らかにそこに実在している!!耳でベース音を追うことができなくとも、素晴らしい演奏だった。明らかにベーシストの理想像だった。

プロデューサーとして色々なバンドに関わり、いつの頃からかミックス時に「ベースをもっと上げてください」と注文するバンドが増えた。時代的には確かにビジュアル系の台頭と時を同じくしているかも知れない。

推論:
日本には元々ベースと言う概念が無かったが故に、ベースを耳で聴こうとしてしまう。故に音量が上がってしまう?(ちょっと単純過ぎる推論で、どこか居心地が悪い様に感じる)

先日のunsuspected monogram のレコーディング中に、エンジニアの競君、ベースのスナパン、他のメンバー交えこの話題をしてみた。もちろん結論など出ないけれど、深い話しになった。

ベーシストの方、エンジニアの方、アレンジャーやプロデューサーの方。一緒に考えていただけたら幸いです。