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in between last days

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身体はだんだん不具合が増えてきて、相変わらずの痛みで夜はまともに寝られず。昨夜もその前もここのところ睡眠は多分2~3時間程度。足はヒドく浮腫みただの歩行すらだんだん重労働へと変わって行く。身体にハンディキャップがあることの大変さ、世の中が思っていた以上にバリアフリーとは縁遠いことなど、今まで考えたこともなかった様々なことに気づく。
痛み止めの麻薬(医療用麻薬)をずっと摂取しているので、頭はあまり冴えず、食欲も落ち、便秘は進み。肉が落ちげっそりした自分の姿が鏡に映し出される度に憂鬱な気持ちにもなり…等々書き出してしまうとまるで"悲惨"な道へ真っしぐらに進み出してしまったがごとく、なのだが…。

昼間テラスで犬達と日向ぼっこをしながら、或いはさっき真っ暗な夜道を一人でフラフラ歩きながら実感するのは悲惨とは真逆の充実した幸せな人生だった。
家族や大切な人たちや犬達に囲まれ(いや、実際には強がりではなく、一人ぼっちでアパートの一間にじっとしていたとしても感じるであろう…)目先の仕事や些事にあくせくするでもなく、今まであまり経験できなかった緩やかな時間と空気の流れを感じながら過ごすひと時の些細な幸せ。恥ずかしがらずに言葉にするなら、この瞬間生きていることへの悦びを噛みしめられているのかも知れない。

プロデューサーとしての仕事はそろそろ終わりかも知れない。ライブを出来る機会はいつになるか、もう無いのか。会いたい人たちにも会う時間が来る保証などどこにも無い。
やりたいこと、やり残したことも山積みになってしまうに違いない。

それでも人生ってまだまだ楽しく面白い。

goodbye world

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その昔C言語から始まったプログラム学習で必ず通る"hello world"と言う言葉。その真逆の言葉を自分の口から公に向けなければならない日が来るとは、思いもしていなかった。


2013年4月上旬自分がスキルス胃ガンのステージVI になっている事を知る。今年から小学校の一人娘の入学式前日の出来事。

発見段階で医師からはすでに手の施し様はあまりない事を聞き(発見された転移部位の問題もあり)、手術や抗がん剤等積極的なアプローチにはリアリティを感じなかった。
かと言って、まるまる放置も釈然としないので、すぐに丸山ワクチンと中国漢方だけは始めてみた。
しばらくすると丸山ワクチンの効果か漢方の効果か、それ以前と比べると格段に体調は良くなり気力も増した。それまで感じていた胃の不快感も弱まり、自分が末期癌だなどとは時折冗談のようにすら感じた。
それでもひと月ちょっとの間に体重は10kg減っていた。

余命をリアルに考えはしなかったが、ごく近しい人達には状況は伝えた。

この件は公にはすまい、と思った。何故ならこの話は救いの無い情報に過ぎないからだ。人に知られるのが困る訳でもイヤだった訳でも無い。ただ救いの無い情報が受け手に与える"力"が怖かった。

当初の2週間近くは、さすがに落ち込みもしたし、無駄なほどにあれこれ考えもした。寝ても覚めても癌のこと、治療のこと、家族含め接する人達のこと、今後の身辺整理等に頭を煩わせた。
でもある日、それが無駄な時間の過ごし方であることに気づいた。同じ時間を過ごすなら少しでも楽しく有意義な時を送ろうと気持ちを切り替えるのにさほど時間はかからなかった。

自分の中の癌と戦うことはすでに無意味に思えた。憎き癌細胞も自分の一部に過ぎない。自分で自分の肉体に戦いを挑む様なナンセンスなことに思えたのかも知れない。

いつ死ぬかはわからない、でも確実にその死は一歩一歩近づいて来る …と思うと、実はそれは誰にでも当てはまる当たり前のことでしかない。自分の余命はそういう意味ではみんなとあまり変わりはない。そんな風にも考えた。
癌などと言う厄介な病気になってしまったが、冷静に思えば突発的病気や事故等に会うよりは、人生を振り返ったり改めて考えたり、大切な人たちの事を思ってみたり、身辺整理の時間を持てたり、感謝の心を育てられたり。案外悪くはないのかもしれない。


そんな状況のくせに、やりたいこと、やらなければならないことは次々と新たに生まれて来る。終息に向かう生と新たな希望の誕生との不思議なバランスだった。そんな日常がさらに末期癌というリアリティを失わせた。

自分の日々の気持ちを書き残しておこう、とEverNoteに「Last Days」という日記項目を追加。
同時に最後になるであろうソロアルバムの構想も始めた。タイトルはもちろん「Last Days」。
今のところ完成はおろか、手を付けてもいないのだけれど、表題曲の作曲だけはした。最後にもう一度大好きなTAKUYAと一緒にこの作品を仕上げたい、と企ててみた。
陽の目を見れる公算は限りなく小さいけれど。


さんざん迷った末に、早川義夫さんにはメールで伝えた。それへの返信をすぐに貰い、初めて泣いた。止めどなく涙が溢れた。暖かい、それこそ愛に溢れた言葉の端はしにそれまで我慢して来た何かが決壊したが如く涙が止まらなくなった。


以後何事も無いように普通に仕事をし、普通に暮らしていた。
胃ガンなので幸い痛みも無く、特に体調の不良も感じず(若干の胃の不快感と体力低下くらい)、いつも通りに元気にやって来た。

7月中旬過ぎ、突然左腕の知覚がオカシイことに気づいた。空間認識感覚が無力化した様な何ともイヤな感覚。手を置こうとしたところに手が行かない。目で確認をして初めてそこに手を持っていける。ほんの5分〜10分くらいの間の出来事だった。
咄嗟に楽器が弾けなくなるかもしれないと思ったが、不思議なことにそれは今や大した不安でもなく思えた。

翌日検査で脳腫瘍を発見。おそらく転移。
すでに腫瘍は結構な大きさなので、放置すると障害が出るのは時間の問題。放射線で対処できるサイズを越えているので手術しか道は無さそうだ。
30年ぶりに取れた夏休み直前だったので旅行を諦めるか悩んだが、医師の承諾もあって旅に出てみた。初めての家族旅行中、幸い症状は出ずに済んだ。


8/3 塩釜での早川義夫さんとのライブの朝、久しぶりに内科の検診。
事態は悪転していた。肝臓に多数の転移が認められ、脾臓にも転移。
思った以上に進行が早かったようだ。早ければ1〜2ヶ月、長くても年内いっぱいもつかどうか。そんな現実が突然リアリティを持って顕われた。いよいよ最終章に入って来たのかもしれない。
今回の塩釜が最後のライブツアーになる可能性が一気に高まった。


その夜、塩釜で早川義夫さんと演奏をしながら漠然と思った。
自分はこの人の歌のために音楽をやって来たのではないだろうか。この人と出会うためにギターを弾き続けて来たのではないだろうか、と。そんな風に思えるほど歌にぴったりと寄り添うことができる。
16歳で初めて彼の歌に出会い、どうしようもない衝撃を感じ、そんな少年が61歳になっても同じ気持ちでその人のためにギターを弾く。
手術が済んで、いま一度演奏をすることができる身体に戻れるのなら、この人の歌でもう一度ギターを弾きたい。
10月のシカゴ大学でのコンサートまで持ち堪える可能性は低いかも知れないから、できれば9月中にでも東京でライブをできないか。なるべくたくさんの人に二人での最後の演奏を届けることができたら、と。そんな青臭いことを考えてみた。


8月6日、代々木第一体育館でのAARONのライブ。その日の為だけに組んだスペシャル編成のバンドで参加。
TAKUYA、人時、楠瀬拓哉、DIE そして僕。DIEさん以外は全員弟子(教え子)とも言えるメンバーでの前日のリハーサルはとても良い仕上がりで本番には自信満々で臨んだ。

本番3時間程前になった時、突然脳の障害が発症した。左腕、手の空間認識がおかしくなる。楽屋でギターを弾いてみるが、まともには弾けない。
本番までの時間、時折正常に戻りまた発症し、の繰り返し。運を天に任せる他は無かった。
本番が始まり「幸い!弾ける!!」と思ったのも束の間、一曲目の途中で全く弾けなくなった。ネックを握ろうとすると、ネックの上に手が乗ってしまう。その手をダマしダマしネックの下側へとすべらせネックをどうにか握る。オープンEのコードですら頭の中で冷静にポジションを再確認しながら指をフレット上にひとつひとつ置いて行く。そんな動作の繰り返し。普段自然に何も考えず行っている動作をバラバラに解析し再構築する様な動き。
代々木体育館の大きなステージの上でなす術も無く立ち尽くし、頭の中だけはすごいスピードで解析を繰り返しながら指をどうにか運んで行く。
そんな風にして、自分のミュージシャン人生最後になるだろう大舞台は終わってしまったが、かつての弟子達がそんな自分をしっかりと見事に支えてくれていたのが何よりも嬉しかった。

それ以後症状は消えない。時折マシにはなるがすぐおかしな感覚に戻る。


8月8日、手術に纏わる丁寧な説明を担当医師から受ける。術後にも障害は残るかも知れない。悪化する可能性もある。
自分は演奏家で、ギターをベースをその他の色々な楽器を弾く。そんな人間がもしかしたらもう二度と今までのようには演奏できない身体になる可能性もある。弾けることが当たり前に生きて来た人間にとっては何とも奇妙な感覚だけれど、悲しい気持ちや悔しい気持ちは全く湧いては来ない。今まで自分の演奏に絶対の自信を持って悔いなくやって来たと思える自負からかも知れない。いや、もしかしたら、音楽よりもずっと大切な何かに初めて向き合っているからかも知れない。


やりたいこと、やらなければならないこと、やりかけたこと、守りたいモノ・人、伝えたかったこと・想い…がたくさんある。それらをどうしたら良いのか、未だに皆目検討はついていない。

明日足掛け3年掛けたウラニーノのアルバムが完成する。自信作と言える素晴らしい作品になったと思う。そこで今抱えている仕事は一段落。

来週8月14日に脳腫瘍の手術を受ける。きっと元気に戻って来よう。

2013年8月9日

佐久間正英

Goodbye_to_followers

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「Goodnight_to_followers」と題して毎晩作り続けて来た”おやすみ音楽”、今晩で1100夜(1100曲+α、一晩に2曲あげた日もあるので)。

多分健康上の理由なり天変地異や突発的アクシデントなどが起きない限り、おそらく毎晩音楽作りを続けることは出来ると思える様になった。いつか2000夜を迎え、3000夜を迎え…と。
もちろん音楽を作ることが職業なので、はなから出来て当たり前でもあるのだけれど、毎晩作り続けることへの精神的・時間のコントロール的な何等かのテクニックを1000夜も続けて来たことによっていつの間にか身につけてしまったように思う。だからこれからもきっと毎晩作り続けることはさして苦痛でも無く当たり前な日々の行動の一部として行えるだろう。

と思うのと同時にいつでも「いつ止めようかな…」と言う気持ちが働いている。言い換えれば「止める」タイミングが見つけられずに続けているとも言える。
1000夜を迎えるまでは「止める」タイミング探しよりは自分がどこまで「続けられる」かに興味があったのだと思う。

結論から言ってしまえば「1111夜」を迎えることが出来たら(残り11夜続けられる保証はどこにも無いけれど)そこで一旦止めてみよう。

最近になって今更気付いたことがある。それはこの「おやすみ音楽」を作ることで、どこか自分の中で「音楽制作」(創作)に関して安心(満足)してしまっていることだ。もちろん日中も音楽を作っている様な職業なのだけれど、自分の作品としては今現在この「おやすみ音楽」制作がいつの間にかメインな創作活動になって来てしまっている気がする。「遊び」として始めたことが時を経るにつれ真剣な創作活動になって来てしまったと言うか。
その事自体は何も間違ってはいないと思うし、続けるほどにそうなることは必然でもあるだろう。
ただ自分の中での比重がアンバランスに感じて来たのだ。
他にももっとやるべき事・やっておかなければならない事がたくさんあったはずだ。なのに深夜眠る前に音楽を作ることで、自分(内在する創作意欲)を安心させてしまう。
言い方は悪いが、それはまるで麻薬の様に徐々に自分を蝕んで来ているのではないだろうかと思うようになった。持ち続けなければならない「創作への渇望」がいとも簡単に毎晩充たされてしまうのだ。

そんな事もあって「1111夜」を目処に一旦止めてみようかと考えるようになった。

実際にはわからないが、1111夜も毎晩音楽を作りネットに公開して来た職業音楽家は居ないだろうと思う。もしこれを記録と呼べるなら、どこかで「”破ることのできる”記録」にした方がいい。
作り続ける限り破られることの無い記録だから。破ることができる、ならそれを目標にして後に続いて来るミュージシャンも出てくるかも知れない…。まぁそんなことはどうでもいいことでもあるのだけど、そんな考えも少し生まれた。

これからは気が向いた時に「遊び」として「趣味」として作ってみよう。
と書いて気がついた事がひとつ。
毎晩小一時間(平均的には30分程度)の音楽制作。自分の中ではどれも完成形までは至らない、その一歩あるいは数歩手前の音楽なのだ。それをあえて良しとするところに自分なりの美意識を持ち続けて来た音楽制作スタイルがおやすみ音楽なのだと思う。
もっと突き詰めた、数歩先まで作れる音楽をやりたい時期にさしかかったのかも知れない。

時間が出来たらこの1000曲以上を何らかの聴きやすい形にまとめてみようと思う。自分の足跡を確認する意味でも。

『たましいの場所』

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早川義夫さんの著作『たましいの場所』が文庫本になったらしく、早川さんからその文庫本(ちくま文庫)が今朝届いた。
元の本も頂いて本文は何度か読んでいたので、文庫本の追加部分だけをパラパラと目を通した。相変わらず上手な文章だなぁと思いながら。

ページを捲りながらふと昔の事を思いだした。
他でも何度か触れたことのある話なのだが、それは早川さんとの初めてのレコーディングの時の記憶。
スタジオはどこだったのかもはや定かでは無いが、もう17年ほど前。アルバム『ひまわりの花』のレコーディングの初っ端「身体と歌だけの関係」と言う曲をレコーディングした時のことだ。
演奏者は早川義夫(Vo, Piano)そうる透(Drms)そして僕(Bass)の3人での一発録り。
2~3回練習がてら合わせ録りをして、そろそろ本番になるかな…と演奏を始め、曲の2コーラス目辺りで演奏しながら突然涙が流れてきた。何なのだろう?と思った。もちろんそんな経験は数十年やっている中でもありえなかった。その後もありえない。
泣けてくる様な曲でも歌詞でも無いその曲。早川義夫の声とその歌だけが何か得体の知れない僕の中のある一点を突き刺した様だった。
とめどなく流れる涙を厭わず演奏し続けた。演奏しながら「何でこんなに自由に演奏できるのだろう?」と思った。譜面に表す様なリズムもコードも何もかも超越して果てしなく自由に演奏することが出来た。

僕にとってはとてつもなく長い演奏時間が終わり「聴いてみましょう!」とコントロールルームへ戻った。するとコントロールルームに居た人々、ディレクターもマネージャーもアシスタントエンジニアやたまたまの来客含め全員がその目に涙を浮かべていた。
そんなシチュエーションにはその前も後も出会ったことは無い。レコーディングの現場でなど決してありえない状況だった。
もちろんそのテイクはオーケーテイクとなった。

涙は流れなかったがある種似た様なレコーディング体験をその10年近く前に一度だけしたことがあった。
初めて自分で飼った犬が死んだある日、夜からレコーディングの予定が入っていた。日中ずっと苦しみ続ける犬を抱きしめながら夜の仕事が気になっていた。そんな気持ちとは別に苦しむ犬に「もういいんだよ、そんなに頑張らなくて」みたいな言葉を掛けた。ありがちな話しだがその直後犬は静かに息を引き取った。そして僕は夜のセッションに間に合った。

その日はNHKのスタジオでのセッション。どんな曲だったかは覚えていないが、ロングトーンの前衛的なギターを弾いた。アンプ(小出力)はブースに入れヘッドフォンをして弾いているのに、フィードバック(サスティン)を自在にコントロールできた。(*通常フィードバックは大きな音量を出してそれをピックアップが再度拾うことで起きます)
その感覚は、音がギターのピックアップでは無く、ヘッドフォンから身体を通って指を伝いギターにフィードバックされているような感覚だった。このまま永遠に音を伸ばしていることが出来ると思った。
同時に演奏することが自由で解放される行為だった。とてつもなく悲しい夜に心はとてつもなく解放されていた。

そんな演奏体験とは、その瞬間における「たましいの場所」を見いだす事ができていた事なのかも知れないな、と本のページを捲りながら思った。

『たましいの場所』

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早川義夫さんの著作『たましいの場所』が文庫本になったらしく、早川さんからその文庫本(ちくま文庫)が今朝届いた。
元の本も頂いて本文は何度か読んでいたので、文庫本の追加部分だけをパラパラと目を通した。相変わらず上手な文章だなぁと思いながら。

ページを捲りながらふと昔の事を思いだした。
他でも何度か触れたことのある話なのだが、それは早川さんとの初めてのレコーディングの時の記憶。
スタジオはどこだったのかもはや定かでは無いが、もう17年ほど前。アルバム『ひまわりの花』のレコーディングの初っ端「身体と歌だけの関係」と言う曲をレコーディングした時のことだ。
演奏者は早川義夫(Vo, Piano)そうる透(Drms)そして僕(Bass)の3人での一発録り。
2~3回練習がてら合わせ録りをして、そろそろ本番になるかな…と演奏を始め、曲の2コーラス目辺りで演奏しながら突然涙が流れてきた。何なのだろう?と思った。もちろんそんな経験は数十年やっている中でもありえなかった。その後もありえない。
泣けてくる様な曲でも歌詞でも無いその曲。早川義夫の声とその歌だけが何か得体の知れない僕の中のある一点を突き刺した様だった。
とめどなく流れる涙を厭わず演奏し続けた。演奏しながら「何でこんなに自由に演奏できるのだろう?」と思った。譜面に表す様なリズムもコードも何もかも超越して果てしなく自由に演奏することが出来た。

僕にとってはとてつもなく長い演奏時間が終わり「聴いてみましょう!」とコントロールルームへ戻った。するとコントロールルームに居た人々、ディレクターもマネージャーもアシスタントエンジニアやたまたまの来客含め全員がその目に涙を浮かべていた。
そんなシチュエーションにはその前も後も出会ったことは無い。レコーディングの現場でなど決してありえない状況だった。
もちろんそのテイクはオーケーテイクとなった。

涙は流れなかったがある種似た様なレコーディング体験をその10年近く前に一度だけしたことがあった。
初めて自分で飼った犬が死んだある日、夜からレコーディングの予定が入っていた。日中ずっと苦しみ続ける犬を抱きしめながら夜の仕事が気になっていた。そんな気持ちとは別に苦しむ犬に「もういいんだよ、そんなに頑張らなくて」みたいな言葉を掛けた。ありがちな話しだがその直後犬は静かに息を引き取った。そして僕は夜のセッションに間に合った。

その日はNHKのスタジオでのセッション。どんな曲だったかは覚えていないが、ロングトーンの前衛的なギターを弾いた。アンプ(小出力)はブースに入れヘッドフォンをして弾いているのに、フィードバック(サスティン)を自在にコントロールできた。(*通常フィードバックは大きな音量を出してそれをピックアップが再度拾うことで起きます)
その感覚は、音がギターのピックアップでは無く、ヘッドフォンから身体を通って指を伝いギターにフィードバックされているような感覚だった。このまま永遠に音を伸ばしていることが出来ると思った。
同時に演奏することが自由で解放される行為だった。とてつもなく悲しい夜に心はとてつもなく解放されていた。

そんな演奏体験とは、その瞬間における「たましいの場所」を見いだす事ができていた事なのかも知れないな、と本のページを捲りながら思った。

PLASTICSの昔のツアースケジュールが今頃回って来た。興味深いので公開します。
ガンバッた日々。
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[ first U.S.tour 1980 april ]

Apr.3 tokyo-seatle-N.Y. JFK
7 tv taping uncle floyd show
8 mudd club N.Y.
9 three interview video shoot for "good" at prauda
10 hurrah N.Y.
11 hurrah N.Y.
12 irving plaza N.Y.
13 fly to san francisco 12 pm AA 017
15 U.C.berkeley california opening act for ramones
18 mabhay garden S.F.
19 mabhay garden S.F.
21 fly to L.A.13 pm UA 564
23 whiskey a gogo L.A.
25 madame wong's china town L.A.
26 madame wong's china town L.A.
28 fly to honolulu 11:10NW -021
30 fly honolulu to tokyo 17:00 NW-021
may 1 arrive Tokyo

[ second US tour 1980 august-september ]

Aug.3 hurrah NYC with strange party(kraus nomi joey arias)
4 malibu beach club long island
5 paradise theater boston
6 danceteria NYC
7 off
8 the edge toronto fly NY to toronto
9 the edge
10 fly toronto to NY
11 university of maryland washington w/ B 52s
12 emerald city N.J.w/B-52s
13 emerald city
14 off
15 boston boston in boston w/B-52s
16 boston boston
17 off
18 malibu beach club w/B-52s
19 hard rock cafe hartford conn.
20 off
21 uncle sams buffalo
22 detroit
23 agora cleve land
24 cleve -NYC
後の資料は紛失。

[ plastics itinerary '81 europe U.S. & Canada tour may ]

May. 1 check in London heathrow terminal2 at12:00 KL128 to amsterdam
2 paradiso amsterdam
3 LH091 amsterdam to Hamburg
4 LH 122 Hamburg to paris Orly
8 AF872 paris charles de gaulle London heathrow
open shuttle London/Edinburgh

19 London -new york
20l left bank mt.vernon N.Y.
21 the bottom line N.Y.
22 peppermint lounge N.Y.
23 paradise theater boston
24 off drive to montreal
25 le club montreal quebeck canada
26 beacon arms ottowa ontario canada
27-28 the edge toronto canada
29 clutch cargos detroit MI.
30 park west chicago Il.
31 off
June 1 duffys minneapolis
2 drumstick lincoln nebraska
3 drive day to lawrence kansas
4 drive day to texas
5 hot klub dallas TX
6 clubfoot austin TX
7 agora ballroom houston TX
8 driving day
9 ol man river new orleans
10 day off
11 day off
12/13 688 club atlanta GA
14 day off
15 the pier north carolina
17 driving day
18 930 club washington DC
19 emerald city NJ
20 the ritz NYC
21 off
22 fly NY-SF
23 off
24 galactica 2000 sacrement CA
25/26 old waldorf SF
27 the catalyst santa cruz CA
29 day off
30 to LA
1/2 the roxy LA
3 perkins palace pasadena,CA
4 fly LA to honolulu
5 honolulu

録音作品を作ることとは

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今日のレコーディングは専門学校でのバンドレコーディング。
相当久しぶりに1曲に丸一日を掛けての長時間レコーディング。一日掛けてバッキングトラックだけ、歌とミックスは後日というゆとりある今で言えばかなり贅沢なペースだ。

でもほんの数年前まではバンドのレコーディングとはそういうモノだった。ところがここ数年は一日に数曲録るのが当たり前な状況になっている。
それはレコーディング技術の進歩でもバンドが優秀になったのでもエンジニアや僕の経験値が上がったせいでも全くなく、とても悲しい現実としての低予算が主たる要因だ。

例えば今日のレコーディング。専門学校生のバンドとは言え、なかなかに優秀なバンドだ。そこらのヘタなプロバンドよりは演奏力も歌唱力もあるし楽曲の完成度もバンドとしての出来上がり具合も高い。
じゃ、何故1曲に一日かかるのか?
それは一言で言えば「ちゃんとレコーディングをした」からだ。音作りから始めドラムのチューニングも楽器選びも何もかも「普通に」やったからだ。バンドの演奏に無駄に時間がかかったりアレンジの手直しに時間が掛かったりエンジニアの音決めが遅かったり僕の判断が遅かったり無駄口が多かったわけでもない。

レコーディングとは本来そういうものだ。そうやって時間を掛けて音を磨き上げて行く作業だ。

ところがこれを金額に置き換えた時に、一日のスタジオ代、エンジニア代、機材費、僕のギャランティ等、数年前の常識で考えれば 40〜50万円/dayくらいはかかるだろう。最近の廉価なスタジオ、低価格になったエンジニアフィー、僕のギャランティ無しで考えても 15〜20万円/day 近くはかかるはずだ。
それで歌録り前のベーシックトラックだけ。
アルバムレコーディングを今日のペースで11曲録ったとして、オケにおおよそ10日、歌に7日、ミックスに7日かけたとすると、最低360万〜数年前レベルで1000万強。
もちろんCDも売れない時代にペイできるわけはない。

音楽を作るとは、その作業や内容を知らない方達からは「何て法外な経費を掛けて!ナンセンスだ!」と言われるに違いないが実はこういうお金の掛かることなのだ。
実際にはこの録音だけに掛かる経費以外に宣伝等にもかかるし、色々出て来る。

例えば今日の作業を3時間で歌まで含め終わらせることも可能だったかも知れない。でもこの一日の作業を3時間でさっさとやった後に何が残るだろう?そりゃ作品は残るけど。
例えばバンドが一日掛けて1曲をやり遂げて得た経験はたった3時間では決して得られない。それはその録音に関わっているこちら側も同じだ。もちろん結果の音にもそれは残る。

こういう事を言うとまた「老害」呼ばわりされたり「バブルの…」とか言われたりするのかも知れないが、音楽(録音物)を作ることには工芸や職人芸と同じ様な時間の掛け方や磨き上げ方がある。
金銭や対時間効率だけで語れることでは決してない。
一週間かけてやっとできた一つの食器と機械作りで5分で出来上がってしまう食器のどちらに価値があるかなどと言う話しともまた違う。

音楽をちゃんと作るとはそういう事だと思う。そしてそういう時代がもし終わったと言うなら音楽を作れる時代は終わったのだと言うのと同義だろう。

昨夜のレイテンシーの話しの続き。コンピューターで音楽をやると実際どのくらい音は遅れて出て来るかの例として書いておきます。

僕のMacBookProで、ソフトはAbleton Live、オーディオインターフェースに内蔵入出力を使った場合のレイテンシーの計測値です。

バッファサイズを 256sampleにした場合、サンプリングレート毎に。(ms=msec.)
44.1k -> 13.1ms : 48k-> 12 ms : 88.2k -> 6.95ms : 96k - > 6.39ms

バッファサイズを 512sampleにした場合、
44.1k -> 24.7ms

バッファサイズを 1024sampleにした場合、
44.1k -> 47.9ms

上記でわかる様に、レイテンシーはサンプリングレートとバッファーサイズにほぼ正比例します。
この数字は単純にインプットに入れた音がコンピューター(アプリ)を経由して出て来るまでの時間です。ここにアンプ・シミュレーターやエフェクトプラグインなどが挟まれば更に大きく遅れます。
もちろんインターフェースやアプリの条件で値は変わって来ますが、いずれにせよとても遅れて音が出て来ると言う事実は変わりません。

更に実際に使用するにはバッファサイズは512sampleくらいが標準で、ソフトシンセなどをいくつか立ち上げるには1024sampleくらいまで引き上げないとまともに動作しなかったりします。

上記の遅れが実際の演奏上どのくらいのことになるかの例えで言えば、僕が真面目に(?)演奏する場合、リズムのズレ(例えばドラムとベースとか)の許容範囲(味と捉える範囲みたいな)が通常 5~10msec程度。15msecずれたらほぼ録り直しとなります。20msec~30ms くらいずれて、それに気付けない演奏家はプロへの道は諦めた方が良さそうに思います。
或いは録ったテイクのちょっとしたノリを修正する場合で通常10msec以内。細かい場合は2msecくらいの範囲でもあったりします。

バッファサイズ512sample、fs 44.1k の遅れ24.7ms はもはやシビアに演奏できる範囲では無いことがおわかりいただけますでしょうか。実際はこれプラスプラグインの遅れもあるのです。

以前書いて何故か話題になってしまった『音楽家が音楽を…』の話しの続きみたくなってしまうけれど、さっきtwitterでこんな書き込みを見た。ちょっと悲しい気持ちになった。

「シミュレーターばっかり使ってる昨今 ギターアンプ変えられるとか贅沢w」

最近は低予算や便宜上でプラグインやシミュレーターが使われる事が多い。
僕自身はそういうハイテク(古い言葉だね)は大好きなので、低予算や便宜上と関係なく積極的に取り入れている。根っからのテクノ小僧な性格も災いして、そっち方面はどんどんエスカレートしている。

例えば近年のアンプ・シミュレーターの出来は相当良い。初代Line6の時代から既にそうなっているのだけど、ヘタなアンプでヘタなマイクセッティングやらあまり芳しく無い機材で録音するよりはよほどいい音を作ることができるのは事実だと思う。
実際自分で演奏をしていてほとんど不都合の無いところまで音を作り込むことができる。

ところが、現物の良い状態のアンプで良い録音状態で演奏をした時に、それは別物だ。
たまたま僕は相当良いアンプを揃えている。ビンテージから近年の物まで、相当贅沢なアンプコレクションを持っている。
これらに良いギターを良いシールドで繋ぎ、良い(その音楽に即したの意味)マイク、マイクアレンジとマイクアンプ等で鳴らした時に、明らかに演奏の質が変わる。タッチやニュアンスと言われる感覚が変わるのだろう。

(ギターをアンプで鳴らした時の実際に出ている音はリハーサルスタジオやライブでは残念ながらわからない。音量で耳がマスクされてしまうし、スピーカーの前に耳をあてて聴くことは無謀だから)

件のブログで触れた「伝承できなくなる…」由の発言はそういう意味のことだ。それはミュージシャン自身が自分で経験しない限り決して得られない。
その違い(ホンモノ)を知っている僕はシミュレーターを使ってもいい音を作れる。でもそれを知らない・知れない人にとってはやはりいつまでも壁は厚いかも知れない。と言っても先に述べた様にヘタな機材を使うよりはずっとマシなので、更に錯覚を生みそうだ。

それはシンセやサンプラーの音作り、使い方にも同様に言える。
例えば生のストリングスを知らない限りそれを再現(に近いことを)することはできないし、それを経験できなければアレンジも音楽自体も擬似的な範囲から抜け出すことは出来ない。(もちろん非現実音は別)

そういう生の音、良い音を経験したり追求することは決して”過剰品質”にはならないし”贅沢”なことでは無かったはずなのに、いつの間にか不幸な時代に入ってしまったのだろうか。
違いを知れないことは不都合な現実だと思う。

========================= 以下続き

シミュレーターの最大の問題は、音色や機能では無く時間的遅れ。
コンピューターでやる限り、どんなに性能の良いマシンで性能の良いソフトを使っても必ず音が遅れて出る。このレイテンシーに無頓着な人が多い。

しかも昨今低予算のせいかどうか知らないけれど、プロツールスでもサンプリングレートを44.1や48kでやっているセッションが多いと聞く。サンプリングレートが低ければそれだけレイテンシーは大きくなる。
僕がdog houseに初めてプロツールスを導入した時、そのレイテンシーの大きさに愕然とした。44.1や48kでは僕の感覚では演奏できなかった。96kにしてギリギリ。

音が遅れて出る状態でいい演奏など望むべくもない。昔MIDIギターのレイテンシーが凄まじく悪戦苦闘したものだけど、要はそういう無駄な努力、感覚とのチグハグを強要される。
現状では、生との最大の違いはそこかも知れないね。

もう少し演奏にちゃんと気を使いましょう!!ミュージシャンもエンジニアも制作サイドも。

シカゴ大学

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米国に "Association for Japanese Literary Studies"( http://www.cla.purdue.edu/fll/ajls/ ) という日本文学の研究学会があり、その学会が毎年テーマを決めて色々な大学を持ち回りで開催されているそうです。
日本文学の研究者が集まり、毎年有名な学者や小説家などを日本から招き、特別講演を行っているとのことで、今までに大江健三郎氏や小森陽一氏、水村美苗氏などが招聘されているとのこと。

その学会の来年の集まりが10月にシカゴ大学にて 「日本文学とパフォーマンス」というテーマで行われるそうなのですが、なんとそこに早川義夫さんが招聘されました。
早速、早川義夫さんから僕に助っ人(?)の依頼が来て、なんと僕もその学会に一緒に呼んでいただけることとなりました!

シカゴ大学でのコンサートと会議への出席となります。
日本の歌い手がそういう場に招聘される事って、とんでもなくスゴイ事では無いかしら?

声を掛けて下さったシカゴ大学のマイケル・ボーダッシュ教授は日本のポピュラー音楽も研究対象とされているようで、2日程前にたまたまニュースでもお名前を発見しました。美空ひばりさんの13歳時の米国公演の音源を発見、とのニュースです。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120706-OYT1T00721.htm

ポピュラー音楽と言うことで僕にも興味を持っていただけた様です。ありがたいことです。
何よりも早川義夫さんの歌が「文学」として捉えられたことが本当に嬉しいです。

米国で早川義夫さんの歌がどう響くのか? 今からワクワクしています。