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twaud.io

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twitterが面白くなっているのは前にも書いたけれど、その付加機能として『twaud.io』と言うサービスが始まっている。
言わば、twitterに写真を投稿するサービス「twitpics」のオーディオ版。

数日前からそこに「おやすみ followers」的な音楽を載せている。
それは毎日その時(寝る前)に作る音楽。仕事の為では無く純粋に”そこ”に載せて”そこを見る方達”に届くようにとだけ思って作る音楽。

職業音楽家なのでいつでも音楽を作れて当たり前。でも「おやすみなさい」の挨拶がわりの音楽を日々作り続けるのはきっと結構膨大な労力が要るのかも知れない。言わば無目的な音楽。

いつまで続けられるかはわからないけど、無理せず楽しくガンバッテみよう。
followersの為、そして本当は自分自身のために。

http://twaud.io/users/pansykiwi

夕焼けの町

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産まれてから以後ずいぶん色々な場所に移り住んで来た。自分の記憶のためにその遍歴を記してみよう。

産まれたのは東京都文京区小石川。昭和27年(1952)。護国寺に近いところだったらしい。
1才になるかならないかで杉並区高円寺に移り住む。蚕糸試験所の近くだったとのことなので今の環七と青梅街道の交差点に近いところだったのだろう。
そこに数年居た後、多分3~4才の頃新宿区下落合へ。駅で言うと西武新宿線の中井駅。駅から坂を登っていくと幼稚園があった。その園庭越しに見える夕焼けの景色は未だに覚えている。時代背景含め僕にとっての『三丁目の夕日』の記憶。

風呂は薪で火を熾していた時代。しょっちゅう煙突から上る火の粉を追いかけて走り回っていた。
冷蔵庫は上の段に氷を入れる電気式ではないもの。毎日氷屋さんが大きな氷を届けてくれていた。
新宿区なのにトイレは汲み取り。大きくなったらなりたいと初めて思った職業がこの汲み取り屋さん。肥桶をリヤカーに積んで引き歩いていたという、今では全く信じられないような光景だが、何故かそれが子供心に格好良く映っていた。
佐久間家に犬が来たのもこの頃。シェパードとの雑種と言われていた犬(ポコ♀)は賢く立派な犬だった。

小学校2年で今度は杉並区下井草(下井草は駅。住所名は忘れてしまった)に。それ以後山の手での暮らしとなる。下井草の暮らしは案外長く中学3年の後半まで続く。子供のころのほとんどの記憶、音楽との出会いもこの土地でのもの。ここに暮らしていた間に今の自分は形成されて行った。

次ぎに移ったのが少し西の杉並区、西荻窪。住所は大宮前。
初めてレコードを買ったのが西荻窪駅近くの新星堂。「帰ってきたよっぱらい」フォーククルセィダース。洋菓子・レストランの「こけし屋」さんが大好きだった。それは多分今でも染みついている感覚。

西荻での暮らしは短く、高校2年で今度は世田谷区烏山へ。広々とした落ち着いた住宅街が好きだった。ここに居た間に一度大雪が降り、その日駅まで雪の中を走り足首を痛め、それ以後冷えるといつも痛むようになってしまったっけ。(ずいぶん年を取ってからいつの間にか治ったが)

高校3年の受験前頃に調布市に移住。父が初めて手にすることができた家。初めて”実家”と呼べた家。

以後家出のようなことをしたり、それ以後移ったのは21才頃か?渋谷区表参道の小さなアパート。
まだ「青山ユアーズ」(洒落たスーパー)のあった時代。原宿もまだステキな街だった。

次ぎに渋谷区富ヶ谷に移り、渋谷区松濤に移り・・・。数年後山手通りの工事が始まり、世田谷区深沢へ。

世田谷人生は意外に長く、この深沢7丁目の貸家に12年。プロデューサーとしてバリバリ(?)仕事を始めた時代。同時に、ただの”犬バカ”時代。

ひょんなことから、3軒隣の土地が空きそこに家を建てることになる。がその家には多分5年くらいしか住まなかった。それから人生初、東京を離れる。
ある日通りかかった完成したばかりの六本木ヒルズを目にし、突然「あ、この街(東京)にはもう居られない」と感じ、東京を離れることを決心。

横須賀市秋谷(葉山のとなり)の海沿いの山の斜面に建つ小さな掘っ立て小屋の様な古い家へ。
トトロ道と呼んだ獣道に毛の生えたような山道にヒョコっとある小さな小さな家がとても気に入った。もちろん車もバイクも自転車すら入って行けないところ。夜になれば真っ暗。月の明るさを初めて実感できた場所。帰宅する時はいつでも懐中電灯を片手にしなければ歩くこともできない急坂を下りて行くと真っ暗闇から犬達の声が聞こえてくる。隣家の音も無く、聞こえるのは波の音と虫の声だけ。

その秋谷暮らしも3年程で、今居る北関東へ。ここへ移って早2年ちょい。秋谷よりずっと田舎なのに随分便利な場所。

まず感じたのが『関東平野』の大きさ。東京に暮らしていた時に思っていた関東平野とはまるでスケールが違う。見渡す限り平らなのだ!そして初めて知ったけれど、平らだから大雨の後に水が引かない。低いところも高いところもないから水の行き場が無いのだ。


この町のステキなところ。夕陽がとてつもなく大きい。その大きな夕陽が沈んで行くと利根川の堤防沿いに夕焼けが広がる。明るいオレンジ色から徐々に濃いピンクへ変わっていく。
その色は僕が4~5才の時、新宿区下落合の幼稚園の庭から見た色とそっくりだ。50年以上前に見ていた色をこの町では今でも見られる。
その夕焼けとこの町に暮らす人達のホワンとした優しさと素っ頓狂とも思えるマイペースさがとても好きだ。

次ぎに移り住む町にもきっと初めての楽しみがたくさんあるんだろうな。

le chat noir

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chat_noir.jpg 事務所に借りている駐車場のある細い通りに、一匹の猫が住み着いている。ある人が「この猫捨てられた猫で」と話してくれた。 薄汚れた銀色のリボンは、近所の人が野良猫と思われて処分されたらかわいそう、との思いで首に巻かれたもの。

決して人懐っこいわけでは無いのだけれど、だんだんと知り合いになった。
その通りの人達は彼女を思い思いの名前で呼ぶ。その風貌から「黒ちゃん」と呼ばれることが多かったけれど、いつのまにかセシルと名付けていた。セシルの住む通りなので、その小径は "rue de cecil"。何故かその通りを歩く散歩中の犬達も道の真ん中に寝転ぶ彼女に一目を置きテリトリーを犯そうとはしない。

夜事務所に戻ると「ミャ〜」と一声、足下に現れる。「こんばんは」「ミャ〜」。
帰りに車に戻ると、ボンネットの上によく寝ていた。「おやすみ」と声をかけるとボンネットからスタっと下り「ミャ〜」と一声植栽の中に消えていく。

お腹を空かしている時には「ミャ〜」の声が大きくなり、足下にすり寄ってくる。そんな時は「ちょっと待っててね」と近くのコンビニへ行き”まぐろ”を買って戻ると、必ず居た場所でちゃんと待っている。

時にはどこかの2階のドアから「**〜ごはんだよ〜!」と声を掛けられたり。そんな風にその通りの人達から食べ物を与えられたり、時にはどこかの家に上がり込んでいたり、飼い猫と遊んでいたり。そんな心優しい人達に囲まれてのんびりと暮らしている。

一時期猫風邪っぽい症状だったりもしたが、先日久しぶりに出会ったら元気そうになっていた。身体もきれいになっていた。すると駐車場の向かいの家の方が薬を与えてくれていたとのこと。
「ここしばらく見かけませんでしたよねぇ」と、そんな会話を交わすきっかけにもなる。

もう2年ちょっとの付き合いになるけれど、そろそろお別れの時期がやって来た。
「いつまでも元気でね、セシル」

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