life: November 2009 Archives

明日から早川義夫さんとツアー。
明日の神戸旧グッゲンハイム邸を皮切りに、岡山県笠岡市 → 山口県宇部市 → 一日空き日(各自自由行動)→ 広島で二日間 → 帰郷。と足かけ一週間の長旅。

岡山と山口は初めて。新幹線で通過したことしか無い土地なので楽しみ。どんなところだろう?

4日目の自由行動日、だいたい予定は決めたのだけどまだ内緒。早川さん、マネージャーの新見さんと各自内緒の行動。翌日誰が一番充実した旅だったかを競い合う雰囲気だ。負けない様充実した一日を過ごさなければ。

最後に広島に二日間居られるのが嬉しい。
広島は亡き母の出身地で、何度か行ったことはあるがいつもゆっくりできた事が無い。子供の頃から広島と呉の話はさんざん聞かされていて、行ったことは無いのに何となく土地勘の様なものがあった。そして必ず街の話し、母の家族や友人の話と共に『原爆』と『戦争』の黒い影が付きまとっていた。そんなイメージが子供心に刷り込まれていた街、広島。なのに不思議と好きで安心できる街。

音楽家は不思議な人生だ。旅芸人と同じ様に、聴いてくれる人が居れば知らない街から街へ移動し、その土地で音を出す。呼ばれなければ立ち寄ることも無い街々。出会うことの無いはずの人達と出会い、出会えても不思議の無い人達と出会えず。演奏している数十分や数時間の為だけに旅を続け、時に家族すらも捨て。

「We are the tour men!!」 とウラニーノの山岸君は叫んでいたな。

さ〜て、いい演奏できますように!!

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一部訂正:
12/5 は広島県だけど、福山市でした!広島からは案外遠い。

the east of eden

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また訃報が。世話になっていた仕事仲間でもあり友人でもある兄弟のお兄さんが亡くなった。

弟の方とはもう45年くらいの知り合い。中学の2年後輩だった。その彼とひょんなことから仕事仲間となってから既に35年くらいの付き合いだろうか。兄の方と知り合ったのはその当時。

兄はマネージャー、弟はアーティスト。そういう関係だった。
部外者であった僕から見て、頼りがいのある兄、才気に溢れた弟だった。いつまで経っても詳しく知れることは無かったが、少なくとも当初はよい関係だったと思う。あの兄にしてあの弟あり。あの弟が故にあの兄があり・・・。良い仕事仲間であり、うまく支え合っている理想的な兄弟に見えていた。

何十年経っても、いまだにその時何が起こり何があったのかわからない。
表層の事実だけを見れば。。。いつしか兄は弟を裏切った。裏切られた弟は兄を恨んだ。兄弟の確執と亀裂は傍目にも痛々しいほどだった。

しばらく疎遠であった時期を過ごし、ある日その兄弟がまた同じ輪の中で動き出していた。
内心良かったと思いながら同時に過去の不安も蘇った。
結果、また同様の事態が起きている様だった。その時も自分は何もわからない立場に居たが。

今日その”弟に生涯迷惑をかけ続けた”兄の訃報を聞いた。咄嗟に思った。弟の気は晴れたか?それとも弟にはもっと深い悲しみが訪れたのか?
本当に申し訳ないけれど、旧約聖書の『カインとアベル』を思いだしてしまった。

そんな兄弟を見ていて、実はいつも不思議なほどに仲の良い兄弟愛を感じていたのを覚えている。兄が弟を見つめる眼にはいつも慈愛が込められていた。弟が兄を見つめる眼差しにはいつも敬愛が含まれていた様に感じた。

兄は昨夜『エデンの東』に本当に旅立った。
合掌!

遠藤賢司氏の1977 ~ 1986年の軌跡を集めた「遠藤賢司実況録音大全 [ 第二巻 ] 」を制作中らしい。
その中に当時僕が関わっているライブ音源があるようで、その使用許諾の確認で聴いてみた。30年前の自分の演奏を。

当時、遠藤賢司のアルバム2枚に関わった。「東京ワッショイ」と「宇宙防衛軍」。「東京ワッショイ」の最初の時点では四人囃子への依頼だった様な記憶があるが、実際にはほとんどが僕の個人作業となった。その後の自分のプロデューサー人生の試金石とも言えるアルバムなのかも知れない。

どっちのアルバムも尋常で無いレコーディング時間がかかっている。どっちが多かったかは忘れたが、800時間を超えた記憶がある。日本レコーディング史上でも最長の部類に入るかも知れない。これは決して誇れる記録では無く、遠藤賢司の尋常ならぬアーチストとしての『拘り』と佐久間正英の『お人好し』が故に生じたことだと思っている。もちろん下地にそれが許された制作環境があったわけだが。


さて、収録曲にはバンド編成でやっているモノも何曲もあり。それは四人囃子でやったものなのかどうか正確ではない。ただし、意外にはっきりと覚えている演奏もあるのだが、記憶上でも実際に聴いてみた音・演奏の印象もどうやら四人囃子では無いように思える。もしかしたらドラムは岡井大二かも知れないが僕のベースでは無かったり、明らかに僕のギターと茂木由多加のピアノ、でもベースもドラムも誰なのかはわからなかったり。甚だ曖昧である。

そんな中に、1979年渋谷のワルツ [ 当時遠藤賢司が経営していたライブ・レストラン。ピラミッド・カレーが有名だった。明治通り沿い、今の東急インのあたりだと思う ] での遠藤賢司と僕の二人だけの演奏が何曲か入っていた。

当時、よくワルツに出向いていた。ある時は演奏(セッション)しに。ある時は客として。当然ながらミュージシャンに会う機会も多かったが、それは別にして(当時は同業者が苦手だった)なんとなく好きな空間だった。もちろん遠藤賢司との付き合いの時間が多かったせいもあるが。

「とどかぬ想い」という曲が入っていた。1979/4/1と表記されている。

のっけから僕がアコースティック・ギターで弾く「展覧会の絵」。それからアルペジオに入りこの曲が始まる。この曲の記憶もこの演奏の記憶もほとんど無い。が、自分で言うのも全くおこがましい話しだが、素晴らしい演奏をしている。あの頃こんなにギターが上手かったとは思っていなかった。ちょっとショック。ある部分あきらかに今より巧いと思える、27歳の自分。
unsus Takuraに聴かせたら嫉妬されるかな?

「ほんとだよ」 遠藤賢司の楽曲の中で僕が最も好きな名曲。これは 1979/3/31 となっている。つまり二日間連続でワルツに出演したようだ。

アコギを弾き歌う遠藤賢司と、シンセサイザーだけの僕。記憶としてはKORG MS-20と YAMAHA CS-10だと思う。これも今だったら決してできない種類の素晴らしい演奏をしている。アナログのモノフォニック・シンセだけで、こんなに表現できていたとは驚きだ。まるでチェロの様に表現するシンセから始まり、徐々に音色を変え二つのシンセ音が絡んで行く。一体どうやって演奏していたのだろう。想像もできない。
この曲は歌もエンケンのギターも含め、実に名演奏だった。
こっちは unsus OTTO が聴いたら嫉妬するな。

その他にも興味深い演奏がいくつかあった。まるで自分のルーツを見る様で面白いと同時に、若くアバンギャルドで先鋭的な演奏・アイデアに溢れていた自分が羨ましくも思えた。

若い時の自分に負けない様に、これからもちゃんと頑張ろう!
ウラニーノの「少年と僕」と言う歌を思いだしてしまった。

辞書で”訃報”と言う言葉を調べてみたが、単語としては見あたらず、このようなセンテンスになるようだ。

昨日スタジオに戻ると、古くからの仕事上の知り合い FJK氏の訃報を知らされた。最初ご家族の話かなと思い「?」となっていると、何と彼本人の話だった。全く考えてもいなかったことなので本当に驚いた。
詳しくは聞いていないが”癌”だったとのこと。


FJK氏は僕と同世代。ひとつ下くらいだろうか。僕のマネージャーN氏と長年親しい間柄で(彼にだけは癌のことを打ち明けていたそうだ)その繋がりで何度か仕事の依頼を受け、つい最近もひとつやりかけの依頼があった。
この7月末に早川義夫さんのライブで行った名古屋で、その件での打合せをした。彼が名古屋在住なので丁度都合良いタイミングで打合せができた。

今にして思えば、確かに痩せていたように思うが、全く元気そうで何も変わった様子は見受けられなかった。あれが最後になるなんて思いもつかないことだった。
打合せを終え「じゃ、よろしく!」とニコヤカに別れ、僕はライブ会場に向かった。
初めてミラーボールズに会った夜だ。


若過ぎる!とも思うし、自分の歳のことを冷静に思えば、そんなものかも知れないなとも思う。
翻って自分を見ると、まだまだ遠い未来のことの様にも思うし、すぐ近い将来の現実とも感じる。そういう年齢にいつの間にかなってしまっている。


できることをひとつずつ丁寧にやりながら生きていこう。考えられることをひとつずつ丁寧に考えてみよう。悠長にやっている時間はもしかしたらもう残り少ないかも知れないけれど、それでもひとつずつ丁寧に時間を過ごして行けるように。そんな風に生きてみよう。


*訃報を聞いて、その場で友人のN氏の心情を察する事が全くできなていなかった。駄目な人間だ。

camera

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写真は決してマニアでも無いし、お世辞にも上手に撮ることはできないし、そもそも映像や絵に対する美的センスには残念ながら乏しい。
ところが、器械としてのカメラにはどうにもグっと来てしまう。写真はあまり撮らないのに、カメラは欲しくなってしまう典型的な困ったタイプだ。実際、普段撮るスナップなど iPhone のカメラで全く充分なのだ。

そんな困った物欲が時折頭をもたげる。ここ半年ほど欲しかった OLYMPUS PEN E-P1 を迷ったあげくについに購入。
発表時からウ〜ム・・・となっていたのだが、早川義夫さんが真っ先に手に入れていたので、どこか悔しくて(?)断念していた。自分は何か別の線で、と考え SIGMA DP2 を手に入れた。
デザインもサイズも良くレンズの評判の良さもあり、しばらく使ってみたが、写真そのものは満足なのだがどうにも使い勝手が悪い。動作がとても遅い、暗い等々。いつの間にか持ち歩かなくなってしまった。

そんな折、OLYMPUS PEN E-P1 なら持っていた Leica M6 のレンズを使えることを思いつく。コンバート用のアダプターが必要だけど、これなら普段滅多に使わなくなってしまったアナログ・カメラの資産(レンズ)を活かすことができる!と購入を決定。早速(数日前の深夜)パンケーキレンズ・セットを Map Cameraに注文。

すると翌日入ってきたオリンパスからのメールマガジン(別の製品でユーザー登録しているので)に新製品 E-P2の発表案内が!ガビ〜〜ン!!!同時にMap Cameraからの出荷の通知メール。もはやキャンセルもできずに半日違いのトホホ。ま、仕方なしです。

さて気を取り直し。 E-P1 が到着。しばらくパンケーキ・レンズで試した後、Leica に付けていた Leitz Summarit 50mm 1:1.5を装着してみる。

leicaM6.jpg OlympasEP1.jpg

面白いほどアナログ感が出る。ボケ方も色目もオリンパスのパンケーキレンズとはずいぶん違って面白い。ただしレンズが重いので構えたときのバランスが難しい。

[ 試し撮りした愛犬キビ。(何だか野性の鳥みたいに写ってるけど)]

KibiSummarit.jpg

そんなことをして昨夜から遊んでいて、今日このレンズのことを少し調べてみると、同じことをやっている方を発見。でもその方のブログに載っている写真のきれいな事。。。同じカメラに同じ半世紀前のレンズなのにまったくの別モノ。
あ〜、やっぱり写真の才能無いなぁ〜〜と再自覚。でも楽しいからいいか。

rainy day

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朝起きると外は雨。
何故か庭越しに外を見ながら、川島康子さんの『外は雨』と言う歌を思い出した。

ちゃんとは想い出せないけれど、多分23~4歳の頃(35年ほど前)川島康子さんのサポートをやっていた。担当はベース。事務所はMS(ミュージック・ステーション?もう忘れてしまった)確か丸山圭子さんとかも一緒だったように記憶する。まだまだ駆け出しだった僕にとっては貴重なクライアントだった。
当時のメンバーはキーボードに茂木由多加(ex四人囃子、バイバイセッションバンド)、ドラムが平野肇君(ex バイバイセッションバンド等)ギターは笛吹君だったろうか?定かでは無い。

どのくらいの期間やっていたかも思い出せないけれど(多分一年以上は付き合っていたとは思う)彼女の歌声が大好きだった。特に「外は雨」という楽曲のサビの部分の歌い上げ方が。人のバック演奏をしながら、歌に・その人に感動しながら演奏できた初めての経験だったように思う。

kawasima.jpg

東京はもちろん、色々な地方にも行った。地方のライブ後の帰りの電車、疲れ切った彼女の寝顔を横に見ながらバンドのメンバーと馬鹿話をしながら過ごした日々。東京でのライブ後だったかリハーサル後だったか、彼女の実家まで送って行ったこととかも思い出す。

そんな青春の日々。いつしか彼女の仕事依頼も無くなり、彼女自身を見ることもなくなってしまった。

今日初めて彼女の名前をネットで検索してみた。たくさんヒットした。
全く知らなかったけれど、小椋佳さんの楽曲でTVの主題歌だったらしい「私は送り風」と言う曲で有名だったようだ。僕がバックをやっていた頃より後の時代なのだろうか?情報は無いけれど。

そんな川島康子さん。今はどこでどうしているのだろう。
いつかまた会えるときが来るだろうか。そんな日が来たら茂木君の訃報も伝えておこう。

band

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18日の 新宿red cloth でのライブに向けて、昨日・今日と連日のリハーサル。

昨年の11月にオーディション含めこのメンバーに固まり、それからレコーディング、リハーサルと何度この楽曲達を演奏したことだろう。すごい回数になると思う。
ところが未だに手強い楽曲達。普段の職業としての音楽演奏なら、ほんの数回合わせればさっさと演奏できるはずなのに、どういう訳だか、このバンドの曲達はそうも行かない。それは僕だけの話では無く、メンバー皆同様なのが面白い。

かと言って、演奏上実際にはそれほど難しいわけでは無い、と言えてしまうところも面白い。

バンドは面白い。それを初めて知ったのは中学二年の時。
同じクラスの秀才・舟津君にどういう経緯だったかは忘れたが、ギターをやっている事を知られ、家に誘われた。当初はちょっと苦手だった、勉強もスポーツも万能の彼と一気に仲良くなれたきっかけが、その日初めて一緒にギターを弾いたこと。ベンチャーズの曲を一緒に遊ぶ。僕がリードギター、彼がリズムギターと即座に役割が決まる。
その後やはりクラスメートでドラムを始めたばかりの仁神君とちょっと不良でボーカルもできた長岩君をベースに迎えて「The Specters」を結成したのが13才の夏。すぐにオリジナルを作り始め、毎日放課後に仁神君の家の別棟2階に貸してもらった練習場所で、ひたすら練習。考えてみれば恵まれた環境だった。
SpectersLg.jpg
音楽性やバンド名の変遷はあったけれど、この仲良し4人組は高校卒業時まで一緒にバンドを続けた。そして解散などと言う大袈裟なことでも無く、何となくバラバラに生きて行くことになった。
僕のその後の音楽活動のルーツがここにある。

バンドは楽しい。そして難しい。それは人と人との関係性の上にのみ成り立つことができる音楽だからだ。その関係性の上にピンと張られた見えない糸が、喜びも楽しみも緊張も、時にせつなさすらもの大元になる。そして、その”見えない糸”を『音楽』と呼ぶことのできる人間関係をバンドと言うのだろう。

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来年の話しは鬼が笑うけれど、来春 3月26〜28日、hachi とunsuspected monogram の関西ツアーがあります! 僕の好きなバンドの方達と一緒にできそうです。
詳細はまた後日。

tv interview

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今日は仕事の合間にテレビの取材。

番組は、日本テレビ「音龍門」(毎週土曜日25時50分~26時20分放送中)。
注目の新人アーティストをいろんな角度から密着し紹介するドキュメント番組らしい。
その番組でウラニーノが取り上げられ、11月21日、28日、12月5日のうちの2週にわたりオンエア予定とのこと。なので先日のライブにもカメラが入っていた。

雑誌の取材は(写真を撮られるのは苦手だけど)いいが、テレビはどうにも苦手。
とにかく自分の滑舌・発音の悪さにいつもガッカリする。テレビを見ている方達に申し訳ない気持ちになってしまうのだ。なので、いつもいまひとつ堂々と自信を持って話せないでいる。

この滑舌・発音の悪さは子供の頃から。「さしすせそ」がまともに発音できず、良くバカにされていたっけ。舌ったらず(実際に舌の長さが短いようにも思う)な発音。それが自分でもずっとイヤでしょうが無かった。

ひょんなことから、今日その大元の原因らしき事が判明!

「幼児期の指しゃぶり」にあったかも知れないと。自分でも鮮明な記憶が残っている年齢(4才くらい?)まで指をしゃぶっていた。左手親指。たこができるほどしゃぶっていたらしい。いつも左手親指をくわえて、右手にお気に入りの白い毛布をずるずる引きずりながら、ボ〜っと突っ立っていたのを思い出す。

で、その指しゃぶり。ある程度の年齢まで続くとあごの形が変形してしまい、滑舌・発音にてきめんに影響してしまうらしい。歯科的な事なら直せるのだが、骨の発達(変形)に影響してしまうので、後では治せなくなってしまうようだ。

今3才になる娘にその指しゃぶりが遺伝。今日歯医者さんにこの件を指摘され、今のうちに止めないと治らなくなるとのこと。
自分の滑舌・発音の原因を初めて知った。オソルベシ指しゃぶり!!

で、今日も滑舌悪くテレビ・インタビュー。幼児期から人生やり直すしか無さそうだ。