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hakubaLg.jpg


Goodnight_to_followershttp://twaud.io/users/masahidesakuma)と名付けて2月から毎晩寝る前に作り始めた通称「おやすみ音楽」が今夜で丁度半年を迎える。180夜超、すでに180曲超を作ったことになる。
作ったと言っても正規な意味合いの作曲行為では無く、その多くは即興的な演奏。アレンジと言える程ではない成り行き任せの音の配置。

久しぶりにそのアーカイブを聴いてみた。もちろん180曲も聴いている余裕は無いので、ここ最近のもの達を。

普段はネットにアップした後確認の為一度聴き、それ以後はほぼ聴き返すことは無い。
そんな自作の楽曲達をまとめて聴いてみる。

作っている時に感じている以上に、どの曲も真剣だ。思ったよりずっと真面目な演奏をしている。
聴き返しながら、その音の端々に過去に自分が見てきた”景色”(風景の意味では無く)の様なモノが垣間見える気がした。

自分が辿ってきた半世紀以上の人生。その間に見・感じ・思い・聴き・聞き・触れてきたたくさんの”景色”の数々が音を組み立てている様に思う。

「そうか、音楽ってそういうことなんだな・・・」とまた改めて気付く。

オリジナリティとは、決してメロディや楽曲の組み立てや音色等の事などでは無く、その人間の生き方なのだろうと。早川義夫さんの「いい音楽はいい人間にしかできない」と言う言葉、やはりその通りなんだな。

CircularToneRecords.jpgのサムネール画像

その思いつきは突然に突拍子もなく訪れた。
「レコード会社を始めてみよう!」
ごく自然に思いついた。

レコード会社などと書くと僕の様な世代の人間にとっては社会的にも会社規模も含め到底個人レベルの力などでは始めようの無い一大事業に思ってしまうのだが、ふと周りを見渡してみればそんな考えはもはや過去の妄想なのかも知れないと気づく。

小さな小さなレコード会社を始めてみよう。
世間の常識からかけ離れていようが、経済原則から外れていようが、何考えてるんだと後ろ指を指されようが、アーティストを信じ彼らの・自分の持つ、創造・創作への情熱と自由を守ることなら最低限できそうだ。
誰も自分達の音楽を掬ってくれない守ってくれないなら自分達で創ればいい。

音楽業界の中で35年も働き続けて来て、今頃になってやっとこんな単純な子供じみた答えに辿り着く。

自分の半生を振り返ってみる。
果たして僕は・彼らは音楽家として自由にのびのびといつでも音楽に向き合い創作して来ることができたのだろうか。残念ながら答えは否だ。
僕の仕事は音楽と言う産業の中にある。経済原則の上に乗った産業である。すると音楽とは金銭的価値を産み出すことのできる芸術活動だけを指すこととなる。その中ではもはや音楽の本来持つ自由、自由な創作その自由な表現すら制約されざるを得ない。それ自体は決して悪では無い。間違ってはいない。経済的活動だからだ。

でも自分自身自由な立場の音楽家として自分の活動を思い返してみると、それほど自由では無かったなと思う。

経済原則の上に無い音楽活動と言うモノを想定してみる。
とりあえず著作権だ何だと言うヤヤコシイ事項も度外視してみる。単純化するために。
まず自分の思う「いい音楽」をひたすら作る。発表の場を考え自由に発表する。
なるほど簡単だ。いつでもCDを作れる。毎日でもネットにアップロードすることだって出来る。ライブもできる。何でもできる。そう、とても簡単に。

「お金にならないだけだ」

いつの間にか音楽にはお金が付き物(いや憑き物?)になってしまった。
お金になることを前提としている音楽活動がある。先にも書いたようにそのこと自体を間違いとは思わないが、前提にされていることにちょっと違和感を感じる。

音楽の価値は決して金銭では無い。そんな当たり前の恥ずかしい様なセリフだが、その理想を現実のものとしながら音楽活動をしているレコード会社を見たことは無い。
ならばそんな発想のままスタートしてみよう。

この春に偶然、そう全くの偶然の上で4つのバンドが出会い一緒に関西ツアーを行った。たった3日間ではあったが、そこで得た刺激・感動は計り知れないほど大きなものだった。

Cojok
hachi
タイフーン・ミニスターズ
そして unsuspected monogram

言わばどこにも引き取り手もいないような音楽家達。でもこの上なく出色の音楽達。4つとも全く違う音楽性なのにどういうわけだか強く惹き合えた。

この4バンドでレーベルにすることができたら、と思いついた。
素晴らしいアイデアだなと興奮した。みんなで助け合いながらみんなが自由に音楽活動を続けていけたら。
今は誰もその音楽でお金など得られない。でもそんなことは後から付いてくればいい。

レコード会社を始めよう。
僕らの作り出す音がいつまでも永遠に循環できる様に『CircularTone records』と名付けた。


2010年6月
レコード・プロデューサー
CircularTone records 代表 佐久間正英

ámé

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unsus_jacket_front.jpg
art work by otoya sakuma


unsuspected monogram の1st. CDが出来上がって来た。[ ámé ] と言うCDタイトルは一曲目の曲名から。
[ 自主制作盤。販売はまずはライブ会場及びホームページ(予定)にて ]

ベーシック・トラックを録音したのはすでに一昨年のクリスマス。その後少しずつのんびりと形にし、最近やっとミックスを終えマスタリングをしたCDが昨日納品された。

こんなに時間を掛けて録音作品を作るのは希だ。と言うか初めてだ。
理由のひとつはメジャーでは無いので、リリース時期もタイミングも特に決まっていないこと。それと「本当にこれでいいかな?」といつまでもどこか踏ん切りが付かなかったこともあるかも知れない。そして今回一番自分にとって大切だった理由は、じっくり納得できるまで少しずつ作り込む音楽制作を追求してみたかったことだ。

音楽の仕事を始めて早35年ほど経つだろうか。その間、音楽を作ることが”仕事”なので当然仕事には締め切りも予算も色々な計画なども絡む。全てがタイムライン上で進行する音楽制作になる。
よほどヒットしたアーティストですらこの流れの制約からはなかなか逃れられない。彼らもまた仕事として音楽を選んでいるから。

しかし音楽を商業から外れて芸術的制作物と捉えると事態は全く変わる。
できる時にできる事を地道にやって行けばよい。期限など要らぬ。お金に換える必然も無い。自分の中の制作(創作)の衝動とだけ向き合って進行させればよい。

幸いにして、同時に不幸にして。音楽家としてある程度の実績と成功を得たが故に、ほぼ全ての関わる音楽制作は”仕事”として成立させざるを得なかった。やっている内容はもちろん創作的活動であり、決して卑下されるべき音楽では無いと思うが、例えそうであっても仕事としてのタイムライン上にあることはいつも明確だ。
ずっと音楽の仕事を続け、そこだけはいつまでも葛藤が残る。

話しが長くなってしまうので端折るが、そんなことが今回の unsuspected monogram の制作の基本方針として自分の中にあった。
このバンドは商業には結びつかないかも知れない。でも自分達で自分達のいいと思える音楽その方法を自由に手にすることだけはできる。そのために始めたようなものかも知れない。

長時間かけ自分でミックスした。現代のテクノロジーのおかげだ。いつでもやりたい時に前回やった作業の続きを始められる。過去のスタジオでは考えられなかった自由がある。この方式はさっきも述べた理由で仕事ではなかなか使えない自由な流れの作業だ。
そしてマスタリングを初めてやった。いいか悪いかはわからない。自分ではいいかなともちろん思っているが。

バンドのコンセプトを考え、曲を書き、演奏をし、ミックスをし、マスタリングもやり。その全ての流れを自分でプロデュースした。プロデューサーになって30年ちょっと、やっとここまでできるようになったのかなと思う。

すごくいいバンドのすごくいいCDができた。Thanks for SO-kun !

誕生日

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58回目の誕生日。(写真のケーキはかれこれ30年近く毎年一緒に祝っている一日違いの友人と今年初めて一緒に祝った友人との連名)

twitterをやっているせいもあって、たくさんの方からお祝いのメッセージをいただいた。ほとんどは見ず知らずの方なのに、暖かい言葉をいただけて嬉しい限りです。ありがとう。そして友人の方達ももちろんありがとうございます。
長いこと連絡を取ってもいない海外の友人からもメッセージが届いた。ありがたいことです。多くの人が僕のことを覚えていてくれる。そんなことに素直に感謝です。

若い頃は年を取ってからの誕生日なんて嬉しくないよな、と当たり前の様に思っていたけれど、実際自分が歳を取ってみると実は何も変わってはいない。嬉しくもあり気恥ずかしくもあり、寂しくもあり。

自分にとっての誕生日とは『親に感謝をする日』なのだといつの頃か気づいた。が、その両親も逝去してずいぶん時が経ち、その感覚だけはリアリティが少しずつ薄れて来てしまったようだ。


今回初めてのメッセージ(と言うかプレゼント?)は。

hachi は僕の誕生日のために新曲を創って送ってくれた!しかもとてもいい曲だった。 ハツエさん、ユーゾー君、シーサーありがとう!
僕と出会えたことへのメッセージの歌。

そしてウラニーノはYouTubeにビデオレターを載せてくれた。こんなの初めて!ありがとう!!
で、明日はウラニーノのレコーディングだ。

twaud.io

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twaudio.png
twitterが面白くなっているのは前にも書いたけれど、その付加機能として『twaud.io』と言うサービスが始まっている。
言わば、twitterに写真を投稿するサービス「twitpics」のオーディオ版。

数日前からそこに「おやすみ followers」的な音楽を載せている。
それは毎日その時(寝る前)に作る音楽。仕事の為では無く純粋に”そこ”に載せて”そこを見る方達”に届くようにとだけ思って作る音楽。

職業音楽家なのでいつでも音楽を作れて当たり前。でも「おやすみなさい」の挨拶がわりの音楽を日々作り続けるのはきっと結構膨大な労力が要るのかも知れない。言わば無目的な音楽。

いつまで続けられるかはわからないけど、無理せず楽しくガンバッテみよう。
followersの為、そして本当は自分自身のために。

http://twaud.io/users/pansykiwi

夕焼けの町

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産まれてから以後ずいぶん色々な場所に移り住んで来た。自分の記憶のためにその遍歴を記してみよう。

産まれたのは東京都文京区小石川。昭和27年(1952)。護国寺に近いところだったらしい。
1才になるかならないかで杉並区高円寺に移り住む。蚕糸試験所の近くだったとのことなので今の環七と青梅街道の交差点に近いところだったのだろう。
そこに数年居た後、多分3~4才の頃新宿区下落合へ。駅で言うと西武新宿線の中井駅。駅から坂を登っていくと幼稚園があった。その園庭越しに見える夕焼けの景色は未だに覚えている。時代背景含め僕にとっての『三丁目の夕日』の記憶。

風呂は薪で火を熾していた時代。しょっちゅう煙突から上る火の粉を追いかけて走り回っていた。
冷蔵庫は上の段に氷を入れる電気式ではないもの。毎日氷屋さんが大きな氷を届けてくれていた。
新宿区なのにトイレは汲み取り。大きくなったらなりたいと初めて思った職業がこの汲み取り屋さん。肥桶をリヤカーに積んで引き歩いていたという、今では全く信じられないような光景だが、何故かそれが子供心に格好良く映っていた。
佐久間家に犬が来たのもこの頃。シェパードとの雑種と言われていた犬(ポコ♀)は賢く立派な犬だった。

小学校2年で今度は杉並区下井草(下井草は駅。住所名は忘れてしまった)に。それ以後山の手での暮らしとなる。下井草の暮らしは案外長く中学3年の後半まで続く。子供のころのほとんどの記憶、音楽との出会いもこの土地でのもの。ここに暮らしていた間に今の自分は形成されて行った。

次ぎに移ったのが少し西の杉並区、西荻窪。住所は大宮前。
初めてレコードを買ったのが西荻窪駅近くの新星堂。「帰ってきたよっぱらい」フォーククルセィダース。洋菓子・レストランの「こけし屋」さんが大好きだった。それは多分今でも染みついている感覚。

西荻での暮らしは短く、高校2年で今度は世田谷区烏山へ。広々とした落ち着いた住宅街が好きだった。ここに居た間に一度大雪が降り、その日駅まで雪の中を走り足首を痛め、それ以後冷えるといつも痛むようになってしまったっけ。(ずいぶん年を取ってからいつの間にか治ったが)

高校3年の受験前頃に調布市に移住。父が初めて手にすることができた家。初めて”実家”と呼べた家。

以後家出のようなことをしたり、それ以後移ったのは21才頃か?渋谷区表参道の小さなアパート。
まだ「青山ユアーズ」(洒落たスーパー)のあった時代。原宿もまだステキな街だった。

次ぎに渋谷区富ヶ谷に移り、渋谷区松濤に移り・・・。数年後山手通りの工事が始まり、世田谷区深沢へ。

世田谷人生は意外に長く、この深沢7丁目の貸家に12年。プロデューサーとしてバリバリ(?)仕事を始めた時代。同時に、ただの”犬バカ”時代。

ひょんなことから、3軒隣の土地が空きそこに家を建てることになる。がその家には多分5年くらいしか住まなかった。それから人生初、東京を離れる。
ある日通りかかった完成したばかりの六本木ヒルズを目にし、突然「あ、この街(東京)にはもう居られない」と感じ、東京を離れることを決心。

横須賀市秋谷(葉山のとなり)の海沿いの山の斜面に建つ小さな掘っ立て小屋の様な古い家へ。
トトロ道と呼んだ獣道に毛の生えたような山道にヒョコっとある小さな小さな家がとても気に入った。もちろん車もバイクも自転車すら入って行けないところ。夜になれば真っ暗。月の明るさを初めて実感できた場所。帰宅する時はいつでも懐中電灯を片手にしなければ歩くこともできない急坂を下りて行くと真っ暗闇から犬達の声が聞こえてくる。隣家の音も無く、聞こえるのは波の音と虫の声だけ。

その秋谷暮らしも3年程で、今居る北関東へ。ここへ移って早2年ちょい。秋谷よりずっと田舎なのに随分便利な場所。

まず感じたのが『関東平野』の大きさ。東京に暮らしていた時に思っていた関東平野とはまるでスケールが違う。見渡す限り平らなのだ!そして初めて知ったけれど、平らだから大雨の後に水が引かない。低いところも高いところもないから水の行き場が無いのだ。


この町のステキなところ。夕陽がとてつもなく大きい。その大きな夕陽が沈んで行くと利根川の堤防沿いに夕焼けが広がる。明るいオレンジ色から徐々に濃いピンクへ変わっていく。
その色は僕が4~5才の時、新宿区下落合の幼稚園の庭から見た色とそっくりだ。50年以上前に見ていた色をこの町では今でも見られる。
その夕焼けとこの町に暮らす人達のホワンとした優しさと素っ頓狂とも思えるマイペースさがとても好きだ。

次ぎに移り住む町にもきっと初めての楽しみがたくさんあるんだろうな。

le chat noir

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chat_noir.jpg 事務所に借りている駐車場のある細い通りに、一匹の猫が住み着いている。ある人が「この猫捨てられた猫で」と話してくれた。 薄汚れた銀色のリボンは、近所の人が野良猫と思われて処分されたらかわいそう、との思いで首に巻かれたもの。

決して人懐っこいわけでは無いのだけれど、だんだんと知り合いになった。
その通りの人達は彼女を思い思いの名前で呼ぶ。その風貌から「黒ちゃん」と呼ばれることが多かったけれど、いつのまにかセシルと名付けていた。セシルの住む通りなので、その小径は "rue de cecil"。何故かその通りを歩く散歩中の犬達も道の真ん中に寝転ぶ彼女に一目を置きテリトリーを犯そうとはしない。

夜事務所に戻ると「ミャ〜」と一声、足下に現れる。「こんばんは」「ミャ〜」。
帰りに車に戻ると、ボンネットの上によく寝ていた。「おやすみ」と声をかけるとボンネットからスタっと下り「ミャ〜」と一声植栽の中に消えていく。

お腹を空かしている時には「ミャ〜」の声が大きくなり、足下にすり寄ってくる。そんな時は「ちょっと待っててね」と近くのコンビニへ行き”まぐろ”を買って戻ると、必ず居た場所でちゃんと待っている。

時にはどこかの2階のドアから「**〜ごはんだよ〜!」と声を掛けられたり。そんな風にその通りの人達から食べ物を与えられたり、時にはどこかの家に上がり込んでいたり、飼い猫と遊んでいたり。そんな心優しい人達に囲まれてのんびりと暮らしている。

一時期猫風邪っぽい症状だったりもしたが、先日久しぶりに出会ったら元気そうになっていた。身体もきれいになっていた。すると駐車場の向かいの家の方が薬を与えてくれていたとのこと。
「ここしばらく見かけませんでしたよねぇ」と、そんな会話を交わすきっかけにもなる。

もう2年ちょっとの付き合いになるけれど、そろそろお別れの時期がやって来た。
「いつまでも元気でね、セシル」

doggy day

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sleeping_dog.jpg 気づかないうちにツアー疲れが溜まっていたのか、目が覚めたら11時。

起き出してコーヒーを飲み一息。犬達の散歩に出ようかと思ったら雨・・・。

朝食を取っただけで何もせずに居たら急に眠くなってしまい犬達と惰眠。
夕飯の買い物に出て、夕方から簡単な煮込み料理。

ほとんど何もしない一日。静かに普通な一日。

*犬は何もしない時間、安らかな休息(外的刺激の無い静かな時間)が一番幸せな時だそうな。

omikuji.jpg

元旦とタイトルを付けたけれど、あっというまに二日目も終わろうとしている。


1月1日付けの早川義夫さんの日記に僕(と熊坂るつこさん)のことが書かれていてビックリ!思わず微笑んでしまった。
昨年後半から何かと言えばるつこさんへの求愛行動(?)の応酬が、いい年こいだおじさん達二人の間で展開されている。そんな、人によっては”不気味”なトピック。
でもさすがに当のるつこさん”引き”始めてるんじゃないかなぁ〜?とちょと心配。今年も一緒にライブやってくれるかしら?
あ!早川さん、るつこさん「あけましておめでとうございます」


さて。そんなおかしな一年の始まり。
大晦日の夜から泊まりに来た友人と共におせち作りを本格的に開始。と言っても実際には大晦日を通り越して新年になってから深夜の煮物。
なのでこの大晦日は幕張のGLAYにもウラニーノのカウントダウンにも行けず。すまぬ!と思っていたら元日の朝早速Takuro君から律儀にお年賀ショートメール。

話しを戻し。
大量にだし汁を取り。ワイン片手にクワイ、蓮根、牛蒡、蒟蒻、人参、八頭、椎茸と手際よく(自画自賛?)順に煮ていく。その合間を縫って煮卵を作ったり、片付けをしたり。無事全て完成の頃にはすっかり酔っぱらい。史上初の元旦月食とも知らず空も見上げずに寝てしまった。

当然元日の朝は早起きはできなかったけど、起きて犬達の散歩を済ませお節をお重に詰める作業をし(これが結構好き)今年も無事におせち料理完成。

昼食におせちと京風白味噌仕立てのお雑煮をいただき、近所の神社へ初詣。
お参りを済ませおみくじを引く。今年は大吉!

内容を見るといいことづくし!ヤッタネ!!
何をやってもうまく行く感じ。仕事はバッチリ。金運バッチリ。待ち人来たりて、投資も今すぐオッケー、恋愛運もバッチリ。とにかく何もかもうまく行きますよ〜〜と。
ところが但し書きあり。
『色恋、酒に溺れぬ限りは!』
早川さん、今年もやっぱりダメみたい。。。

New Year's Eve

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満月の大晦日。

何年か前に生まれ育った東京を離れてから満月の夜の明るさを初めて知ったり、夕焼け雲の色の微妙な変化をクリアな視界のもとで眺めたりできるようになった。
今日の夕景も子供の頃の東京(半世紀前)でもすでに見ることのできなかった様な綺麗な空だった。
関東平野ならではの、田舎暮らしならではの有意義な時間。


さて今年も一年色々なことがあり、でも大して何も無かったようでもあり。楽しい出会いがあり、悲しい別れがあり。。。そんな感じ、そんな普通な感じ。

一年間たくさんの色々な音楽や歌に接し、たくさんのレコーディングやライブもやり。でも思い出せるのはごく限られた数の楽曲でしかない。それはたぶん記憶力の問題では無く、心とその音楽のバランス関係の結果なのだろう。
それは音楽に限らず、すべての出来事も同様に。つい思い出してしまうこと・忘れられないこと・忘れていること・思い出すこともできないこと。心とできごとのバランスなのだろう。そんな感じ、そんな普通な感じ。

来年はどうなるかなぁ、とか思いながらもその来年はほんの明日のことでしか無いのを知っている。
そんな感じ、そんな普通な感じで来年も一年よろしくお願いします。

皆様のご健康とご多幸を祈りつつ、一年間ありがとうございました!

佐久間正英

さて、年越し蕎麦の用意だ!

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