『漫画家が漫画を諦める時』を読んで

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FaceBookにたらたらと書いた文のまとめです。




佐藤秀峰さん『漫画家が漫画を諦める時』
音楽とは構造は違いそうだけれど、同様に難しい問題ですね…。お察しします。
とは別に、佐藤さんのマンガ好きだったので(珍しく単行本買ったくらい)僕のブログなんて読んでくれたのが何だか嬉しい。

http://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?cn=1&dn=33894



佐藤秀峰さんのインタビュー記事を読んで、意外なほど僕と似た考えの方みたいで興味深かったです。
無料配布してしまうところやデジタル化に対する考えとか、資料を残さない、本そのものには(僕の場合はCD)あまり思い入れ無く捨ててしまうところとか。
行動力と言う点では全くもって頭が上がりませんが。orz

http://www.bookscan.co.jp/interview.php?iid=007



『漫画家が漫画を諦める時』と書いた佐藤秀峰さん、『音楽家が音楽を諦める時』と書いた僕と。昨日佐藤さんのインタビューを読み、何となく似てる感じがするみたいな事を書いたけれど大切な相似点(と勝手に思うとこ)を書き忘れてた。

それはお互い、ああ書いておきながら多分決して『諦めない』ことだろう。で、その『諦めない』理由は実は「何となく〜」しか無さそうなところだと感じた。(「何となく」なので”多分”と付けた)

昨日スタジオ作業の合間に「新ブラックジャクによろしく」と「特攻の島」を読みながら「こんな絵を描きこんな作品を作れる人が”諦める”訳ないよな」と当たり前の様に確信した。
それは、思い上がりかも知れないが例えば僕が毎晩作って著作権フリー・無償でアップし続けているGoodnight_to_followersシリーズを聴いてもらえればわかることかと思う。『諦める』人間がもう850夜もそんなことを続けられるだろうかと。あるいは僕がプロデューサーとして関わった150超のアーティストの作品を聴いてもらえばわかってもらえるかも知れない。

その人の作品にはその人の生き方がそのまま出てしまうものだ。
それに正面から向き合わずに言葉で人を語っても仕方のないことだろう。
どこかのライターさんに「老害」「もう辞めちまえ!」などと言われずとも、僕らみたいなタイプの人間は、ある日急に禁煙を思い立って煙草を止めてしまうが如くその活動を止めてしまうものだ。
それは”諦める”こととは無縁だ。



佐藤秀峰さんネタ(?)が続いてしまうけれど、昨日「特攻の島」のあるページに釘付けになった。島を俯瞰で眺めた見開きいっぱいの絵なのだけど、回天のレールや建物の屋根や、それらが驚くほど緻密な線の集合で驚くほど細かく描き上げられていた。気の遠くなる様な作業量が素人にも容易に想像が付くが、そんなこととは無関係に”絵”としての完成度・力みたいなモノに打ちのめされた。

絵のことは素人なので何もわからないが、もしかしたら同じ描写を1本の線画だけで表現できる人も居るのかも知れない。描く側にとっての効率で考えれば1本の線画で表現できる方が明らかに有利だろう。でもそれは1本で表現できる方が優れている事にはならない。別の表現手法なだけだ。

あの細密な絵を見て、例えばそれを赤塚不二夫の絵と比較し「過剰品質」だと捉える人はいないだろう。

先日来僕が書いてきた音(音楽)へのこだわりもそれと同じ事なのだと思った。
ネット上でいくつか「過剰品質の追求」的な言葉を目にしたのだが、それは全く見方が違う。ひとつひとつの音に拘り音楽を作って行くこともリハスタでバンドを2本のマイクだけで録音することも、後者の方が効率がいいだけでどちらが優れていると言う話しではない。
ただ同じ手法を取った時にはそれをやる人間(ミュージシャン含め)次第で品質の差は生まれる。それでもよりよい状態でできた音楽を過剰品質とは決して呼ばない。

とそんなことを思いながら、さらに佐藤秀峰さんのファンになってしまう自分がいる。

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This page contains a single entry by masahide sakuma published on June 27, 2012 3:25 PM.

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