April 2012 Archives

一段落して

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三日前の "The Party 60" 2月頃までは還暦ライブやイベント或いは単純にお祝いみたいな事は考えたことも無かった。実際今年の誕生日はいつにも増して何も無いただの一日だったと思う。還暦なんて本人にとっては恥ずかしいだけで祝ってもらえる様なことでは無い。

それがある日屋敷豪太、根岸孝旨の両氏と呑んでいた時に「還暦ライブやりましょうよ〜!」と急遽話しが進んで、全く考えたことも無かった分ちょっと面白そうだなとヒョイヒョイ乗ってしまい、その晩FaceBookにそんなことを面白半分に書いてみるとすぐにTAKUYAやそうる透その他のアーティストやスタッフ関係の方が「やりましょう〜!」と声を掛けてくれた。心底ありがたいなと思い実現に初めて前向きになった。

もともと記念日とかそう言ったことに無頓着と言うかそういう事への反抗心なのか、それはどうにもカッコ悪いことの様に思えてしまう。記念日に限らず結婚式でも葬式でも卒業式でも、それら一切ができれば自分にとっては関わりたく無い行事なのだろう。そういう"人としての残念な点"は早川義夫さんととても良く似ている。


なのでイベント当日(既に誕生日を過ぎてもいたので)戴いた沢山の「おめでとうございます!」には本当に申し訳無いけれど、心の中では多少なりとも違和感を抱いていた。つくづく性格悪いのだと思う。
しかもここ最近ついに人生初めて”老い”を実感し始めた矢先に「おめでとう」と言われてもちょっとドギマギしてしまうのもあるのだろう。不思議な感覚だ。

ともかく。
幸いなことに、あのイベントを出来たことは自分にとても大きな何かを生んでくれた様に思う。
企画はもちろん、出演者への交渉・スケジューリング調整・会場の選択等から機材や楽器の解釈、当日の楽器運搬、出演者・スタッフの弁当の手配等から終演後のパーティ・セッションの企画まで自分でやった(もちろん準備期間含め当日も多くのスタッフの方に手伝っていただいたけれど)なんて初めてのことだ。

昨夜早川義夫さんのライブでギターを弾きながら、どうにも逃れようのない肉体疲労を感じていた。でも途中でふと気付いたのは、どこか心がとても自由になっていたことだ。束縛が無くなったと言うのか、心がまた一段階軽くなった様に思えた。軽くなった分スピードを増した様な感覚もあった。
「からっぽの世界」と言う曲の長尺のエンドソロを気がふれた様に弾きながらそんなことを感じていた。

一生懸命やること。そこに誤魔化しや妥協をしないこと。出来ることだけを出来る様にやること。当たり前の事を偉そうにやらないこと。ひたむきであること。いつも新鮮であること。自分の感覚を信じること。友達や仲間の助けを素直に受け入れること。実際はカッコ悪くてもカッコよく生きようとすること。そんな書ききれないたくさんのことを改めて知ることができた、みんなの演奏から教えてもらえた貴重なライブだった。
改めてありがとう!

The Party 60 無事終了

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昨夜のThe Party 60 出演者、来て下さった方々、ゲストの方々、スタッフの方々、終演後のパーティバンドの方々本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。
昨夜の出演者(出演順:敬称略)です。
1. Violent Is Savanna
2. ウラニーノ
3. Hysteric Blue (Tama、たくや、若菜拓馬、力石理恵、佐久間正英、人時)
4. dip in the pool+佐久間正英
5. 早川義夫+佐久間正英、根岸孝旨、そうる透
6. unsuspected monogram
7. n'夙川Boys + 佐久間正英
8. GLAY + トシ永井、佐久間正英
9. TAKUYA + そうる透、佐久間正英、Tama、若菜拓馬、佐久間音哉
10. PLASTIX (Toshio Nakanishi、リンダ、TAKUYA、佐久間正英、屋敷豪太、佐久間音哉+立花ハジメ)
計10組(たくさん佐久間が入ってますがw )総勢33名のミュージシャンによる5時間近いライブイベント。どのグループも最高だった。

終演後は会場でそのままパーティ・セッションタイムへ。

トップバッターに、見に来てくれていた Over The Dogs に僕が無茶ブリをして一曲。ドラマー不在のため急遽ウラニーノのドラマー小倉君が参加。楽しい演奏ですごく良かった。
二番手にはViolent Is Savanna+TAKUYAによるジュディマリの名曲「ラバーソウル」。イントロのTAKUYAのギター始まるなり会場は大盛り上がり。
思わず「おー!ホンモノだ〜!!」と叫んでしまった。(笑)
Tamaちゃん、ウラニーノとともに最前列カブリツキで盛り上がる。ボーカルの星花が感極まって歌ってる姿がすごくステキだった。夢って叶うもんだね。
そして3番手は、高橋まことを呼び込みBOOWYの「Dreamin'」大会。
ギターにTAKUYA、若菜拓馬。ベースが僕。そして何とボーカルはウラニーノの小倉君と言うとんでもない組み合わせでのドリーミン。小倉君のバックでコーラスを歌うTAKUYA。相当レアな場面。

大騒ぎの夜の締めくくりに"ゆあさみちる"をステージに呼び込み「おやすみ音楽(Goodnight_to_followers)」公開録音。曲は以前ボカロで作っていた「Close my eyes」みちるちゃんの伸びやかな歌声が会場に響いていい雰囲気の内に終幕。
*ゆあさみちると僕で ”blue et bleu" というユニットとして近々制作に入る予定。

ところが、まだ怒濤の夜は終わらず2次会へ。
TAKUYA、ウラニーノ、unsusたっくら達と結局朝まで呑みまくり語りまくり。
久しぶりにTAKUYAとたくさん話しができたのが昨夜の大きな収穫だった。

たくさんのいい音楽を見、聴けた夜。同時に色々考えさせられたり学ぶこともできた夜だった。
最後に一言。
「マーヤ最高〜!!」

ECの思い出

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昨夜コンパスポイントスタジオの事を書いてエリック・クラプトンを思いだしたので記しておこう。

当時PLASTICSの僕以外のメンバーは「クラプトンて誰?」なくらいロックレジェンドには無知だったけれど、ともかく偶然クラプトンご一行様とレコーディング期間中一緒だった。(当初の予定ではポール・マッカートニーと一緒になるとの噂だったので、それと比べれば「クラプトンて誰?」である)

確か「Another Ticket」として後に発売されたアルバムのレコーディングだった。

いくつかの思い出が。

*見るからに上品なイギリス紳士だったこと。

*そのくせスタジオ・ロビーのサッカーゲームには熱くなること。
(PLASTICSはいつも敗戦)

*朝早くから一人でスタジオでTR-808のプログラミングをしていると後ろの壁にもたれて腕組みをし無言でずっと僕の作業を見つめていたこと。何を思っていたのだろう。質問をされたことは確か一度も無かったけどいつも見に来ていた。

*当時PLASTICSのローディだったNobumasa Uchida君がクラプトンに気に入られスカウトされかかった事。

*クラプトンの歴代のギターがずらっと並んだスタジオ・ロビー。片っ端から弾かせてもらったこと。もちろんあのブラッキーも。サイケペイントのSGも。

*クラプトンのアンプ(当時はMusicman)を勝手にレコーディングで使ったこと。
(プロデューサーのアレックスが「使っちゃおう〜!」と)

*そして…当時お世辞にもギターは上手とは言えなかったこと。
 ある日デビッド・クロスビー(だっだと思う)がスタジオを訪れクラプトンにアコギでフレーズを教えていた。多分彼の曲を伝えてる様子。ぶきっちょにたどたどしくクラプトンが何度も教わっていた。横でその様を見ながら「あらあら…」と思ったものだ。

*そして一番の思い出。
 ある朝スタジオに着くとクラプトンのスタジオから聞き慣れたギターの音がして来た。「もう誰か来てるのかな?」と覗くと、ピッグノーズのアンプでクラプトンが一人練習中。その音はまぎれもなく、あのEric Claptonの音だった。ピッグノーズから出ているとは到底思えない音だった。そして素晴らしいプレイだった。
 目から鱗だった。ひとつは前日までちょっと舐めていた(?)クラプトンのギターの底力。
 そして何よりも、音はギターやアンプでは無くその人本人から出て来ることを初めて知れたことだ。

ともかく。あの時のコンパスポイントでの日々は後の自分の音楽人生を大きく変えた。
TR-808との孤軍格闘。クラプトンのギター。終焉に向かい始めたPLASTICS。

そして僕のその後にとっての最大の出来事、プロデューサー:アレックス・サドキンとの出会い。初めて「プロデュースすることとは…」の本質を知ることができた日々。

ROLAND TR-808の記憶

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今日synth bar @代官山SaloonではROLAND TR特集の集まりがあった様で、是非伺いたかったのだけど伺えず、Ustで参戦を試みるも回線不調な様で参加できずでした。
で、懐かしくTR-808にまつわる記憶を辿ってみようと思う。

ROLAND社には四人囃子時代から色々お世話になり(丁度あのJCアンプが発表された時代)その後僕が四人囃子からPLASTICSへと移って行き、そこでROLAND CR-68, CR-78(改造版)と使い続けて行く中から出て来たたアイデアを当時の担当佐藤さんに色々相談をし、TR-808のアイデアが生まれてきた。

1) パラ・アウトであること。
2) リズムをプラグラミングできること。
3) 各楽器のチューニングができること。
等が基本的な僕の要求だったかと思う。

実際には僕のアイデアが元なのかROLAND社内の開発なのか、どちらが先かは今となっては定かでは無いが、おそらくほぼ同時にそういう時代の要求が生まれていたのだろう。

試作品(と言ってもまだ基盤に半固定ボリュームが付いてる様な状態)のチェックをしに大阪のROLAND社に行き、ああだこうだと開発の方と話しながら試してみた記憶がある。

その後製品版が出来上がるのと一緒のタイミングでPLASTICSの3rd Album『Welcome back Plastics』のレコーディングスケジュールが決定。早速TR-808の初号機(シリアル1番)を抱えナッソー・バハマのコンパスポイントスタジオへと飛んだ。
今にして思えば無謀なのだけど、マニュアルも何もまだ出来ていない初号機を持ち、CR-78等押さえのリズムボックスは何も持たずにナッソーに飛んだ。

ナッソーへと向かう機中と到着した夜に必死に操作方法を研究した。何せマニュアルも何も無いので、その前にROLAND社で試した基盤状態のモックアップを思い出しながら。

スタジオに入り、アシスタント・ベンジャミンとプロデューサー・アレックス・サドキンにこの機械を使ってのレコーディング方法を簡単に伝え作業に入る。
それまでのCR系と違いマルチアウトがとにかく楽だった。それ以前はバラ録りする為に自作のシンクボックスを使い、テンポ調整はSH-1のLFOでやるような状態だったのではるかに快適になった。

もちろん世界初のTR-808のレコーディング。操作性はまだまだだったけれど音は期待以上だった。その時のレコーディングで自分なりの808の音作りの”秘密”も手に入れりことができた。そのテクニックは今でも活かせる。

たまたまEric Claptonが隣のスタジオにレコーディングに入っていたのだけど、毎朝10時から一人で808の打ち込みをしていると、やはり朝から一人でスタジオに入っていたクラプトンが僕の後ろで腕組みをしながら「こいつ何やってんだろな〜?」とジっと見守っていたのがとても印象深い。

ともかくそんな感じで無事レコーディングは終わり、プロデューサー、アレックス・サドキンがその時作ったTR-808の音が世界初、そして僕が知る限り何も飾らない最高の808の音として残った。

-- 808 後日談 --

ナッソーバハマでのレコーディングが終わり、次のライブツアーで向かったロス。グリフィス・パークでB-52'sとのライブだったのだが、その翌日だったか(?)DEVOのマークの家に遊びに行った。
DEVOから噂はすでに聞いていたが、そこで初めてLinn Drumの現物を見、音を聴かせてもらった。その音を聴き、素直に
「あ…TR-808の時代は終わった…」と感じた。PLASTICSのレコーディングから一ヶ月も経たない話しである。
それでもPLASTICSは、その後解散までTR-808を2台使ったライブツアーを行っていた。
そして時代を経てTR-808が奇蹟の復活を遂げた。

-- Linn Drum 余談 --

そんな宿敵状態のLinn Drumだったが、それからしばらくして日本に入って来たのだけど、知る限りそれをポップスで使ったのは僕が最初だったかと思う。作品は近藤真彦「ミッドナイトステーション」。Linnでドラムパートをやり(当時は前代未聞なので)筒見京平先生にかなり白い目で見られた。