The Spectors

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昨夜の池袋鈴ん小屋での早川義夫さんとのライブ、新年初回大入り満員で演奏も含めとてもいい感じに終わった。
僕にとってはそれ以上に嬉しかったのが、旧友(中学・高校と一緒にバンドをやっていた)舟津君が見に来てくれたこと。

舟津君とは中学1年で知り合い、ある日彼に誘われ彼の家でギター2本で人生初セッション。レパートリーは当然ベンチャーズ。その日を境に人生が一変した。クラシック少年だった僕が初めてバンドの楽しさを知った日だった。
後に同じクラスの仁神君をドラムにソノちゃんをベースに誘い込み”The Spectors"を結成。すぐにオリジナルのインストを演奏しはじめた。僕がリードギターで舟津君がサイドギターだったけど彼がバンドの頭脳的存在だった。

彼は生徒会長であり常に学年トップの成績。僕はこと音楽に関しては早くから校内で認められた存在で成績もトップ10には入るくらい。そんな二人が事もあろうかエレキバンドなど始めてしまったので学校としてはさぞかし困ったことだろうと思う。当時はエレキ=不良の時代。自転車にアンプを積んで押し歩いてると近所の人から後ろ指を挿される様な時代だったからなおさらだ。
そんな時代にそんな二人が始めたバンド、先生達としてはノー!とも言えず特に音楽の先生(本山先生と言う素晴らしい先生だった。今日の僕があるのも先生のおかげと思う)も認めざるを得なかったのだろう。

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初めて校内で(人前で)演奏した時の写真がこれ。右端が舟津君グヤトーンのギター。二番目がソノちゃん。まだベースなど手に入れられなかった時代なのでテスコのギターでベースがわり。僕はVOICEのギター(これはいいギターだった。今でも欲しいくらい)仁神君はまだスネアと小さなシンバルしか無かったな。
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高校になりある日舟津君がジャックスのコンサートに誘ってくれた。二人で当時一番気になっていたバンドだった。日仏会館でのジャックス・ショー、高校生の僕らにとってそれはそれは衝撃的な音楽だった。オープニングアクトには遠藤賢司。
一度で打ちのめされた僕らは早速ジャックスのコピーを演奏し始め、オリジナルの歌を作り始めた。作詞は舟津君、曲は僕で。
バンド名を”Backs"と変え(明らかにJacksのパクリ!)賞金・賞品稼ぎでバンドコンテストに出てはそこそこいい成績で戦利品を獲ていた時代。プレイヤーの前身だった雑誌(まだニュースペーパー的だったかな)にも取り上げられたりもした。他にもリードギターだった僕は杉並の天才少年的に取り上げられた事もあった様に思う。

そんな仲良しバンドも高校いっぱいで終わってしまいそれぞれの道を歩むこととなった。

ともかく、その舟津君と一緒に音楽を始めていなければその後の僕の人生は全く違ったものになっていたのだろう。早川義夫とも遠藤賢司とも出会うことなど無かったかも知れない。後に舟津君の友人となった茂木由多加とも四人囃子とも。和光大学に進学する事も無かったのだろう。
そんな僕の人生を決定づけた彼が新年早々ライブを見に駆けつけてくれ、お褒めの言葉までもらえた。こんな嬉しい事なかなか無いな、と思えた昨夜のライブ後の新年会。

秀才だった彼は今は一流企業の社長。音楽バカの僕はこんな感じ。
お互いいい人生を歩めたんじゃないかな。

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This page contains a single entry by masahide sakuma published on January 9, 2012 11:05 PM.

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