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今日(いや既に昨夜)は国立地球屋で早川義夫さん、熊坂るつ子さんとのライブ。

国立、相変わらずオシャレで素敵な雰囲気。広い通りには満開の桜並木、Kinokuniyaあり、おしゃれな雑貨屋さんなどが並び、モスバーガーまで素敵な佇まい。

相変わらず・・・と言っても、実はおそらく50年ぶりの国立。
子供の頃親戚の様な(微妙な関係)一家が国立に暮らしていて(今日の地球屋のすぐそばだったと思う)よく遊びに行っていた。書くと長くなってしまうし、先方が歴史上(?)の有名人なもので色々支障がありそうで書けないのだけど。簡単に記せば「とても数奇な運命を辿った一家」ということになるのかな。

当時ハーフの姉妹と大の仲良しだった。お母さんが乗っていたのは小さな日野ルノーという車。その小さな車内に仲良く相席し語らっているのが大好きだった。おそらく幼稚園(僕は行かなかったが)くらいの年齢かと思う。可愛い白系ロシアのハーフの娘達に初めての淡い恋心を抱いていたのかも知れない。

そんなことを思い出させられる街、国立で初ライブ。

ライブ前の待ち時間に早川義夫さんから twaud.ioに毎晩載せているGoodnight_to_followersに関する質問が。
「タイトルはつけないの?あれば、あの曲って言うのがもっとわかりやすいのに」と。
確かにそうだと思う。それを考えてみた時もある。
でも、やはり気恥ずかしい。と言うか言葉の強さが音を越えてしまうことを機具してしまうのかも知れない。

音楽に言葉でのタイトルを付ける。普通なことだけど、それによって音楽は音自体の行き場・向かう先と関係のないところに意味づけられ、そこから逃れることが難しくなってしまう様に思える。
例えば「春」とつける、その楽曲は”春”の響き・イメージから逃れられなくなってしまう。かと言って 2010.04.10 はあまりに不親切だ。

でも・・・と、ふと思い当たる。そう、この楽曲達は一過性で良い。一晩だけ咲いている花のようなものだ。だから時間が経ち、誰かがあの楽曲は!?とタイトルなど思い出せなくていいものなのではないか?その日その場で生まれ、そこに消えていくもの。音楽って実は本来そういうものだったのではないだろうか、と妙に真面目に考えてみたりする。

音は音の実在など残らなくてよい。その感触だけが心のどこかにフワっと漂ってくれれば。そして、それすらいつか消えて行ってしまえばよいのだと。


あの二人姉妹、今どこでどうしているのだろう?日本には居ないようだけど・・・。

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