in between last days

|

身体はだんだん不具合が増えてきて、相変わらずの痛みで夜はまともに寝られず。昨夜もその前もここのところ睡眠は多分2~3時間程度。足はヒドく浮腫みただの歩行すらだんだん重労働へと変わって行く。身体にハンディキャップがあることの大変さ、世の中が思っていた以上にバリアフリーとは縁遠いことなど、今まで考えたこともなかった様々なことに気づく。
痛み止めの麻薬(医療用麻薬)をずっと摂取しているので、頭はあまり冴えず、食欲も落ち、便秘は進み。肉が落ちげっそりした自分の姿が鏡に映し出される度に憂鬱な気持ちにもなり…等々書き出してしまうとまるで"悲惨"な道へ真っしぐらに進み出してしまったがごとく、なのだが…。

昼間テラスで犬達と日向ぼっこをしながら、或いはさっき真っ暗な夜道を一人でフラフラ歩きながら実感するのは悲惨とは真逆の充実した幸せな人生だった。
家族や大切な人たちや犬達に囲まれ(いや、実際には強がりではなく、一人ぼっちでアパートの一間にじっとしていたとしても感じるであろう…)目先の仕事や些事にあくせくするでもなく、今まであまり経験できなかった緩やかな時間と空気の流れを感じながら過ごすひと時の些細な幸せ。恥ずかしがらずに言葉にするなら、この瞬間生きていることへの悦びを噛みしめられているのかも知れない。

プロデューサーとしての仕事はそろそろ終わりかも知れない。ライブを出来る機会はいつになるか、もう無いのか。会いたい人たちにも会う時間が来る保証などどこにも無い。
やりたいこと、やり残したことも山積みになってしまうに違いない。

それでも人生ってまだまだ楽しく面白い。

"脳 know NO!"

|


病院暮らしは数日にして既にパターン化して、人間の順応性の高さを改めて認識。これで数日前には生死の狭間を彷徨っていたのだからなかなか呑気なものだ。

午前中は簡単な確認程度の検査(血圧や体温、名前生年月日、今日の日付確認等)で後はダラダラと過ごしたり洗髪や医師グループの回診やら。合間にリハビリとしてギターを弾き自己確認をしたり。
昼食後にメインイベントの3人の専門担当医による3種類のリハビリプログラム。これがなかなか時間もかかり大変でかつ興味深い。

週末を挟んでその間に脳圧が少し下がったのか、全体に先週と比べるとずいぶん成績は良くなってる様に感じる。特に左手の動作、例えばお手玉を掴んだり投げたりはずいぶん性能がアップした様に感じる。もともと運動能力が大きく劣っているので他人にはわかりにくいかもしれないが自分としては結構行けてる!

左手の動作、認識に関してはギターも顕著で昨夜と今朝を比べるとずいぶん弾ける様になっているのがわかる。多分他人から見ていたらいつもの僕の演奏との違いはほぼ分からないかもしれないレベルまでは復活出来ていそうだ。もちろん自分的には、あれ?がまだまだたくさん出るが、劇的な進歩に思える。

そんなリハビリプログラム中、興味深いのは文字と、図形の認識能力。
文字に関しては、はっきり言ってほぼ全滅!書けない。(読むのは可)
自分の名前すら書けないし、もちろん書き慣れたサインも不可。縦線横線だけならまだかろうじて追えるが斜め線や点などが絡んで来るとまるで書けなくなる。全く負け惜しみでは無いのだが、この書けない感覚、途中で文字が崩壊して行く感覚がとても面白い。かつて経験したことの無いスリリングな文字との対峙とでも言おうか。「書けない!困った」と言う焦りも感じず、ひたすら興味深い。これは図形に関しても同様で、以前は得意だった図形描画が全くできない。単純な立方体ですらどう表したら良いか全く検討もつかなくなる。

文字、図形を書く事に関しては自分の元々の特質に依るところが大きいのではないだろうか。
僕は生来の左利き。それが、文字に関しては小学校入学と共に自発的に右手に直した。
絵は基本左手なのだが、図形等の精密な描画は右手に頼って来た。さらに複雑なのが、効き目が完全に左目なこと。つまりこれらの機能は右脳が担って来たのかもしれない。今回の腫瘍発生箇所がその能力部分を直撃したのではないだろうか。

面白いことに運動機能の件と同様、元々文字を書くことに関しては飽きれるほどに能力が低い。ワープロの登場をひたすら待ち望んだほどに。なので、今現在文字を書く能力に欠落があること自体は悔しくも残念でもない。
ただ、この喪失した機能がどういう過程を経て取り戻されて行くのかは興味深い。
脳は面白いから真面目にリハビリに取り組む。

goodbye world

|

その昔C言語から始まったプログラム学習で必ず通る"hello world"と言う言葉。その真逆の言葉を自分の口から公に向けなければならない日が来るとは、思いもしていなかった。


2013年4月上旬自分がスキルス胃ガンのステージVI になっている事を知る。今年から小学校の一人娘の入学式前日の出来事。

発見段階で医師からはすでに手の施し様はあまりない事を聞き(発見された転移部位の問題もあり)、手術や抗がん剤等積極的なアプローチにはリアリティを感じなかった。
かと言って、まるまる放置も釈然としないので、すぐに丸山ワクチンと中国漢方だけは始めてみた。
しばらくすると丸山ワクチンの効果か漢方の効果か、それ以前と比べると格段に体調は良くなり気力も増した。それまで感じていた胃の不快感も弱まり、自分が末期癌だなどとは時折冗談のようにすら感じた。
それでもひと月ちょっとの間に体重は10kg減っていた。

余命をリアルに考えはしなかったが、ごく近しい人達には状況は伝えた。

この件は公にはすまい、と思った。何故ならこの話は救いの無い情報に過ぎないからだ。人に知られるのが困る訳でもイヤだった訳でも無い。ただ救いの無い情報が受け手に与える"力"が怖かった。

当初の2週間近くは、さすがに落ち込みもしたし、無駄なほどにあれこれ考えもした。寝ても覚めても癌のこと、治療のこと、家族含め接する人達のこと、今後の身辺整理等に頭を煩わせた。
でもある日、それが無駄な時間の過ごし方であることに気づいた。同じ時間を過ごすなら少しでも楽しく有意義な時を送ろうと気持ちを切り替えるのにさほど時間はかからなかった。

自分の中の癌と戦うことはすでに無意味に思えた。憎き癌細胞も自分の一部に過ぎない。自分で自分の肉体に戦いを挑む様なナンセンスなことに思えたのかも知れない。

いつ死ぬかはわからない、でも確実にその死は一歩一歩近づいて来る …と思うと、実はそれは誰にでも当てはまる当たり前のことでしかない。自分の余命はそういう意味ではみんなとあまり変わりはない。そんな風にも考えた。
癌などと言う厄介な病気になってしまったが、冷静に思えば突発的病気や事故等に会うよりは、人生を振り返ったり改めて考えたり、大切な人たちの事を思ってみたり、身辺整理の時間を持てたり、感謝の心を育てられたり。案外悪くはないのかもしれない。


そんな状況のくせに、やりたいこと、やらなければならないことは次々と新たに生まれて来る。終息に向かう生と新たな希望の誕生との不思議なバランスだった。そんな日常がさらに末期癌というリアリティを失わせた。

自分の日々の気持ちを書き残しておこう、とEverNoteに「Last Days」という日記項目を追加。
同時に最後になるであろうソロアルバムの構想も始めた。タイトルはもちろん「Last Days」。
今のところ完成はおろか、手を付けてもいないのだけれど、表題曲の作曲だけはした。最後にもう一度大好きなTAKUYAと一緒にこの作品を仕上げたい、と企ててみた。
陽の目を見れる公算は限りなく小さいけれど。


さんざん迷った末に、早川義夫さんにはメールで伝えた。それへの返信をすぐに貰い、初めて泣いた。止めどなく涙が溢れた。暖かい、それこそ愛に溢れた言葉の端はしにそれまで我慢して来た何かが決壊したが如く涙が止まらなくなった。


以後何事も無いように普通に仕事をし、普通に暮らしていた。
胃ガンなので幸い痛みも無く、特に体調の不良も感じず(若干の胃の不快感と体力低下くらい)、いつも通りに元気にやって来た。

7月中旬過ぎ、突然左腕の知覚がオカシイことに気づいた。空間認識感覚が無力化した様な何ともイヤな感覚。手を置こうとしたところに手が行かない。目で確認をして初めてそこに手を持っていける。ほんの5分〜10分くらいの間の出来事だった。
咄嗟に楽器が弾けなくなるかもしれないと思ったが、不思議なことにそれは今や大した不安でもなく思えた。

翌日検査で脳腫瘍を発見。おそらく転移。
すでに腫瘍は結構な大きさなので、放置すると障害が出るのは時間の問題。放射線で対処できるサイズを越えているので手術しか道は無さそうだ。
30年ぶりに取れた夏休み直前だったので旅行を諦めるか悩んだが、医師の承諾もあって旅に出てみた。初めての家族旅行中、幸い症状は出ずに済んだ。


8/3 塩釜での早川義夫さんとのライブの朝、久しぶりに内科の検診。
事態は悪転していた。肝臓に多数の転移が認められ、脾臓にも転移。
思った以上に進行が早かったようだ。早ければ1〜2ヶ月、長くても年内いっぱいもつかどうか。そんな現実が突然リアリティを持って顕われた。いよいよ最終章に入って来たのかもしれない。
今回の塩釜が最後のライブツアーになる可能性が一気に高まった。


その夜、塩釜で早川義夫さんと演奏をしながら漠然と思った。
自分はこの人の歌のために音楽をやって来たのではないだろうか。この人と出会うためにギターを弾き続けて来たのではないだろうか、と。そんな風に思えるほど歌にぴったりと寄り添うことができる。
16歳で初めて彼の歌に出会い、どうしようもない衝撃を感じ、そんな少年が61歳になっても同じ気持ちでその人のためにギターを弾く。
手術が済んで、いま一度演奏をすることができる身体に戻れるのなら、この人の歌でもう一度ギターを弾きたい。
10月のシカゴ大学でのコンサートまで持ち堪える可能性は低いかも知れないから、できれば9月中にでも東京でライブをできないか。なるべくたくさんの人に二人での最後の演奏を届けることができたら、と。そんな青臭いことを考えてみた。


8月6日、代々木第一体育館でのAARONのライブ。その日の為だけに組んだスペシャル編成のバンドで参加。
TAKUYA、人時、楠瀬拓哉、DIE そして僕。DIEさん以外は全員弟子(教え子)とも言えるメンバーでの前日のリハーサルはとても良い仕上がりで本番には自信満々で臨んだ。

本番3時間程前になった時、突然脳の障害が発症した。左腕、手の空間認識がおかしくなる。楽屋でギターを弾いてみるが、まともには弾けない。
本番までの時間、時折正常に戻りまた発症し、の繰り返し。運を天に任せる他は無かった。
本番が始まり「幸い!弾ける!!」と思ったのも束の間、一曲目の途中で全く弾けなくなった。ネックを握ろうとすると、ネックの上に手が乗ってしまう。その手をダマしダマしネックの下側へとすべらせネックをどうにか握る。オープンEのコードですら頭の中で冷静にポジションを再確認しながら指をフレット上にひとつひとつ置いて行く。そんな動作の繰り返し。普段自然に何も考えず行っている動作をバラバラに解析し再構築する様な動き。
代々木体育館の大きなステージの上でなす術も無く立ち尽くし、頭の中だけはすごいスピードで解析を繰り返しながら指をどうにか運んで行く。
そんな風にして、自分のミュージシャン人生最後になるだろう大舞台は終わってしまったが、かつての弟子達がそんな自分をしっかりと見事に支えてくれていたのが何よりも嬉しかった。

それ以後症状は消えない。時折マシにはなるがすぐおかしな感覚に戻る。


8月8日、手術に纏わる丁寧な説明を担当医師から受ける。術後にも障害は残るかも知れない。悪化する可能性もある。
自分は演奏家で、ギターをベースをその他の色々な楽器を弾く。そんな人間がもしかしたらもう二度と今までのようには演奏できない身体になる可能性もある。弾けることが当たり前に生きて来た人間にとっては何とも奇妙な感覚だけれど、悲しい気持ちや悔しい気持ちは全く湧いては来ない。今まで自分の演奏に絶対の自信を持って悔いなくやって来たと思える自負からかも知れない。いや、もしかしたら、音楽よりもずっと大切な何かに初めて向き合っているからかも知れない。


やりたいこと、やらなければならないこと、やりかけたこと、守りたいモノ・人、伝えたかったこと・想い…がたくさんある。それらをどうしたら良いのか、未だに皆目検討はついていない。

明日足掛け3年掛けたウラニーノのアルバムが完成する。自信作と言える素晴らしい作品になったと思う。そこで今抱えている仕事は一段落。

来週8月14日に脳腫瘍の手術を受ける。きっと元気に戻って来よう。

2013年8月9日

佐久間正英

SRSS

|
SRSS.jpg

【SRSS】Sound Recording and Streaming Services

昨日のZEPP DiverCityでのKampFesが実質の初仕事となりましたが、【SRSS】と称してライブ・レコーディングとライブ配信(現在はライブ配信用ミックス)の新規事業を始めました。
(時間が取れずSRSSとしての法人登記はまだできていませんが)

ここ数年ustream等でのライブ配信をやって来ましたが、その音に関してはずっと問題を感じていました。と言うのも、通常のライブの場合(規模の大小に関わらず)配信用の音=最終ミックスは、PAからの卓アウト+オーディエンス・マイクの音となります。
ところがPAアウトとは、あくまでPA用のバランス、音質の音とならざるを得ません。例えばギターアンプの音が大きければその音は小さくせざるを得ず、歌が小さければ歌を大きく…等。また音色調整もPA=会場の出音に合わせた調整となります。例えばハウリングしそうなポイントはバッサリカットせざるを得ず、或いはPA機器の音質に合わせた音としてEQ等施されてしまいます。
そういった音、バランスを配信用(テレビと考えればわかりやすいですが)に流されるのはアーティストにとっても、放送を聴く側にとっても決して好ましい状況ではありません。

なので音楽を重視したい場合、自分のバンド等ではスタジオライブの形を取らざるを得ませんでした。何度かそういうこともやったのですが、やはりライブとは言ってもスタジオとライブ会場とでは全く違ってしまいます。

さて、このギャップをどうしたら良いものか…と考え続け思いあたったのが、ライブ配信専用のライブミックスをしてしまうことです。
実際には各マイクの音をPAとパラにし、あるいは専用にマイクを持込、PAと全く独立したミックスをします。同時にマルチチャンネルのレコーディングも可能なので、後日ライブ盤やDVD等を出すには再度適宜なミックスをやり直すことも可能です。
機材的にはROLANDのDigital Snakeを用いています。これだとEthernetケーブル1本で96khz/40チャンネルを一度に伝送できますし、長さも通常で100m。オプティカルにコンバートすれば2km(だったかな?)まで延長することもできます。
Digital SnakeのI/O(マイクアンプでもあります)をステージ上或いはモニター卓周り、PAミキサー周り等に配置しマイク信号をパラレルにし、こちらがミックスする場所(会場内であったり楽屋であったりあるいは中継車であったり)までCat5eケーブルを1本引くだけですみます。

作業の流れとしては、リハーサル時にレベルを取りマルチレコーダー(現在はROLAND R-1000 48ch。チャンネル数が増えてきたらPC)に録音し、リハ後本番までの間にそのリハーサル音源を使いミックスバランス、音補正等を行い本番を迎えます。この時間帯が勝負です。
本番中はもちろんライブなので何が起きるかわかりませんから、最後まで気は抜けないライブミックスとなります。

もちろん本番も全てレコーディングしていますので、例えばライブ後にその音源をすぐに配信したり、あるいはデュプリケーターを用意すればCDやDVDの販売も可能となります。もちろん後日さらに丁寧なミックスをし、通常のライブCD、DVD等にも対応できます。

ざっとその様な事業です。
現時点ではレコーディングエンジニアと僕の二人のチームでやっています。僕が全体的監修(プロデューサー)の立場ですが、もちろん交代でミックスしたりもしています。

次回の仕事は 5/5 下北沢シェルターでの Takuya and The Cloud Collectorsのワンマンライブになります。Kampsiteからオンエアされますので是非聴いてみてください。その日はちょっと特殊でustream配信と別に僕がPAのミキサーとなりますが。

長くなりましたが、ライブ配信・レコーディングにご興味ある方は是非ご連絡ください。基本どこへでも駆けつけます。料金体系まだきちんと作れていないのですが、ライブレコーディングとしては対クオリティで考えても破格の値段でできるように考えています。
info@vitaminpub.net あるいは僕宛にFBメッセージでも。

*SRSSではアシスタント・エンジニアを募集しています。普通免許のある方なら男女・経験は問いません。(ちなみに現チーフエンジニアは女性)機材もそれほど重くないので女性の方でも大丈夫です。上記アドレスあてにメッセージをください。

Goodbye_to_followers

|

「Goodnight_to_followers」と題して毎晩作り続けて来た”おやすみ音楽”、今晩で1100夜(1100曲+α、一晩に2曲あげた日もあるので)。

多分健康上の理由なり天変地異や突発的アクシデントなどが起きない限り、おそらく毎晩音楽作りを続けることは出来ると思える様になった。いつか2000夜を迎え、3000夜を迎え…と。
もちろん音楽を作ることが職業なので、はなから出来て当たり前でもあるのだけれど、毎晩作り続けることへの精神的・時間のコントロール的な何等かのテクニックを1000夜も続けて来たことによっていつの間にか身につけてしまったように思う。だからこれからもきっと毎晩作り続けることはさして苦痛でも無く当たり前な日々の行動の一部として行えるだろう。

と思うのと同時にいつでも「いつ止めようかな…」と言う気持ちが働いている。言い換えれば「止める」タイミングが見つけられずに続けているとも言える。
1000夜を迎えるまでは「止める」タイミング探しよりは自分がどこまで「続けられる」かに興味があったのだと思う。

結論から言ってしまえば「1111夜」を迎えることが出来たら(残り11夜続けられる保証はどこにも無いけれど)そこで一旦止めてみよう。

最近になって今更気付いたことがある。それはこの「おやすみ音楽」を作ることで、どこか自分の中で「音楽制作」(創作)に関して安心(満足)してしまっていることだ。もちろん日中も音楽を作っている様な職業なのだけれど、自分の作品としては今現在この「おやすみ音楽」制作がいつの間にかメインな創作活動になって来てしまっている気がする。「遊び」として始めたことが時を経るにつれ真剣な創作活動になって来てしまったと言うか。
その事自体は何も間違ってはいないと思うし、続けるほどにそうなることは必然でもあるだろう。
ただ自分の中での比重がアンバランスに感じて来たのだ。
他にももっとやるべき事・やっておかなければならない事がたくさんあったはずだ。なのに深夜眠る前に音楽を作ることで、自分(内在する創作意欲)を安心させてしまう。
言い方は悪いが、それはまるで麻薬の様に徐々に自分を蝕んで来ているのではないだろうかと思うようになった。持ち続けなければならない「創作への渇望」がいとも簡単に毎晩充たされてしまうのだ。

そんな事もあって「1111夜」を目処に一旦止めてみようかと考えるようになった。

実際にはわからないが、1111夜も毎晩音楽を作りネットに公開して来た職業音楽家は居ないだろうと思う。もしこれを記録と呼べるなら、どこかで「”破ることのできる”記録」にした方がいい。
作り続ける限り破られることの無い記録だから。破ることができる、ならそれを目標にして後に続いて来るミュージシャンも出てくるかも知れない…。まぁそんなことはどうでもいいことでもあるのだけど、そんな考えも少し生まれた。

これからは気が向いた時に「遊び」として「趣味」として作ってみよう。
と書いて気がついた事がひとつ。
毎晩小一時間(平均的には30分程度)の音楽制作。自分の中ではどれも完成形までは至らない、その一歩あるいは数歩手前の音楽なのだ。それをあえて良しとするところに自分なりの美意識を持ち続けて来た音楽制作スタイルがおやすみ音楽なのだと思う。
もっと突き詰めた、数歩先まで作れる音楽をやりたい時期にさしかかったのかも知れない。

時間が出来たらこの1000曲以上を何らかの聴きやすい形にまとめてみようと思う。自分の足跡を確認する意味でも。

『たましいの場所』

|

早川義夫さんの著作『たましいの場所』が文庫本になったらしく、早川さんからその文庫本(ちくま文庫)が今朝届いた。
元の本も頂いて本文は何度か読んでいたので、文庫本の追加部分だけをパラパラと目を通した。相変わらず上手な文章だなぁと思いながら。

ページを捲りながらふと昔の事を思いだした。
他でも何度か触れたことのある話なのだが、それは早川さんとの初めてのレコーディングの時の記憶。
スタジオはどこだったのかもはや定かでは無いが、もう17年ほど前。アルバム『ひまわりの花』のレコーディングの初っ端「身体と歌だけの関係」と言う曲をレコーディングした時のことだ。
演奏者は早川義夫(Vo, Piano)そうる透(Drms)そして僕(Bass)の3人での一発録り。
2~3回練習がてら合わせ録りをして、そろそろ本番になるかな…と演奏を始め、曲の2コーラス目辺りで演奏しながら突然涙が流れてきた。何なのだろう?と思った。もちろんそんな経験は数十年やっている中でもありえなかった。その後もありえない。
泣けてくる様な曲でも歌詞でも無いその曲。早川義夫の声とその歌だけが何か得体の知れない僕の中のある一点を突き刺した様だった。
とめどなく流れる涙を厭わず演奏し続けた。演奏しながら「何でこんなに自由に演奏できるのだろう?」と思った。譜面に表す様なリズムもコードも何もかも超越して果てしなく自由に演奏することが出来た。

僕にとってはとてつもなく長い演奏時間が終わり「聴いてみましょう!」とコントロールルームへ戻った。するとコントロールルームに居た人々、ディレクターもマネージャーもアシスタントエンジニアやたまたまの来客含め全員がその目に涙を浮かべていた。
そんなシチュエーションにはその前も後も出会ったことは無い。レコーディングの現場でなど決してありえない状況だった。
もちろんそのテイクはオーケーテイクとなった。

涙は流れなかったがある種似た様なレコーディング体験をその10年近く前に一度だけしたことがあった。
初めて自分で飼った犬が死んだある日、夜からレコーディングの予定が入っていた。日中ずっと苦しみ続ける犬を抱きしめながら夜の仕事が気になっていた。そんな気持ちとは別に苦しむ犬に「もういいんだよ、そんなに頑張らなくて」みたいな言葉を掛けた。ありがちな話しだがその直後犬は静かに息を引き取った。そして僕は夜のセッションに間に合った。

その日はNHKのスタジオでのセッション。どんな曲だったかは覚えていないが、ロングトーンの前衛的なギターを弾いた。アンプ(小出力)はブースに入れヘッドフォンをして弾いているのに、フィードバック(サスティン)を自在にコントロールできた。(*通常フィードバックは大きな音量を出してそれをピックアップが再度拾うことで起きます)
その感覚は、音がギターのピックアップでは無く、ヘッドフォンから身体を通って指を伝いギターにフィードバックされているような感覚だった。このまま永遠に音を伸ばしていることが出来ると思った。
同時に演奏することが自由で解放される行為だった。とてつもなく悲しい夜に心はとてつもなく解放されていた。

そんな演奏体験とは、その瞬間における「たましいの場所」を見いだす事ができていた事なのかも知れないな、と本のページを捲りながら思った。

『たましいの場所』

|

早川義夫さんの著作『たましいの場所』が文庫本になったらしく、早川さんからその文庫本(ちくま文庫)が今朝届いた。
元の本も頂いて本文は何度か読んでいたので、文庫本の追加部分だけをパラパラと目を通した。相変わらず上手な文章だなぁと思いながら。

ページを捲りながらふと昔の事を思いだした。
他でも何度か触れたことのある話なのだが、それは早川さんとの初めてのレコーディングの時の記憶。
スタジオはどこだったのかもはや定かでは無いが、もう17年ほど前。アルバム『ひまわりの花』のレコーディングの初っ端「身体と歌だけの関係」と言う曲をレコーディングした時のことだ。
演奏者は早川義夫(Vo, Piano)そうる透(Drms)そして僕(Bass)の3人での一発録り。
2~3回練習がてら合わせ録りをして、そろそろ本番になるかな…と演奏を始め、曲の2コーラス目辺りで演奏しながら突然涙が流れてきた。何なのだろう?と思った。もちろんそんな経験は数十年やっている中でもありえなかった。その後もありえない。
泣けてくる様な曲でも歌詞でも無いその曲。早川義夫の声とその歌だけが何か得体の知れない僕の中のある一点を突き刺した様だった。
とめどなく流れる涙を厭わず演奏し続けた。演奏しながら「何でこんなに自由に演奏できるのだろう?」と思った。譜面に表す様なリズムもコードも何もかも超越して果てしなく自由に演奏することが出来た。

僕にとってはとてつもなく長い演奏時間が終わり「聴いてみましょう!」とコントロールルームへ戻った。するとコントロールルームに居た人々、ディレクターもマネージャーもアシスタントエンジニアやたまたまの来客含め全員がその目に涙を浮かべていた。
そんなシチュエーションにはその前も後も出会ったことは無い。レコーディングの現場でなど決してありえない状況だった。
もちろんそのテイクはオーケーテイクとなった。

涙は流れなかったがある種似た様なレコーディング体験をその10年近く前に一度だけしたことがあった。
初めて自分で飼った犬が死んだある日、夜からレコーディングの予定が入っていた。日中ずっと苦しみ続ける犬を抱きしめながら夜の仕事が気になっていた。そんな気持ちとは別に苦しむ犬に「もういいんだよ、そんなに頑張らなくて」みたいな言葉を掛けた。ありがちな話しだがその直後犬は静かに息を引き取った。そして僕は夜のセッションに間に合った。

その日はNHKのスタジオでのセッション。どんな曲だったかは覚えていないが、ロングトーンの前衛的なギターを弾いた。アンプ(小出力)はブースに入れヘッドフォンをして弾いているのに、フィードバック(サスティン)を自在にコントロールできた。(*通常フィードバックは大きな音量を出してそれをピックアップが再度拾うことで起きます)
その感覚は、音がギターのピックアップでは無く、ヘッドフォンから身体を通って指を伝いギターにフィードバックされているような感覚だった。このまま永遠に音を伸ばしていることが出来ると思った。
同時に演奏することが自由で解放される行為だった。とてつもなく悲しい夜に心はとてつもなく解放されていた。

そんな演奏体験とは、その瞬間における「たましいの場所」を見いだす事ができていた事なのかも知れないな、と本のページを捲りながら思った。

世界の終わりに

|

今日で世界は終わるらしいが今のところ何も起きてはいなそうだ。

「終末論」は世界中でもてはやされる。不安を抱きハラハラ・ドキドキしながらその悲惨にどこか憧れ期待を持ってその時を待つ。
日本が沈没し、世界に核が飛び、隕石が落下し、巨大津波がおしよせ、宇宙人が襲来し、人々は逃げ惑いビルは破壊され何もかも水没し。
そんなイメージは確かに極上のエンターテイメントだ。これ以上派手な催し物・特効(特殊効果)は考えにくい。

そんな人間の馬鹿馬鹿しいとも思える性・弱さにつけこめば人を洗脳・説得することは容易い。
「次の原発事故が起きたら日本はもうアウトだから…」みたいな発想が簡単に蔓延もする。しかも人は恐怖を目の当たりにすると「シングルイシュー」でしか物事を考え・見られなくなる。なので、そこで思い込んでしまった恐怖対象を取り除くことにしか意識が向かわない。周りが見えなくなる。
例えば浜岡原発の擁壁作りに1500億円近いお金と努力を投資しながら近隣住民への津波被害対策になど一切目が行かなくなる。実に典型的な例だ。
あるいは全ての原発を止めて自らの首を絞める等々。
(原発のことなど書きたかった訳では無いのだが、そんな人間の弱さのわかりやすい例えとして)

さて。明日世界が終わるとしよう。
それでも今日自分が抱えているリスクは変わらない。マンホールに落ちて死ぬかも知れないし車に轢かれるかも知れない。心臓発作を起こすかも知れない。
あるいは運良く今日を生き延びて明日世界が終わったとして、何を恐れることがあるのだろう。
生物の命は有限だ。生命に限らず地球でさえも。その有限が一斉にある瞬間に訪れることでしかない。

KEMPER PROFILING AMP

|

昔メロトロンが登場した時、当時の欧米の実演家団体が「仕事が無くなる」と抗議をし販売差し止めを求めたと言う。
その後その流れはサンプラーとなり実際に多くの演奏家の仕事は減った。そしてその流れは演奏家に留まらず、DTMの登場によって編曲家もスタジオもエンジニアすら仕事を奪われて行く。

KEMPER PROFILING AMPに触れているとそんな歴史の流れを思い出す。KEMPERの登場によってギターアンプ・メーカーは少なからず打撃を受けるかも知れない。ビンテージのアンプは別だが、現存するアンプメーカー、特に新型の開発にとっては脅威なはずだ。(多分まだ気付いている人は少ないだろうが)何故なら新しく作ったアンプをプロファイリングされればそこでそのアンプの使命はある部分終わってしまう。
別の見方をすればサンプラーがそうであった様に、古い楽器(アンプ)の音を消えて行ってしまう前に保存しておくこともできる。これはとても有益だ。

もうひとつKEMPERの脅威はそのプロファイリングされたデータ(実際のアンプの音)がUser Forumを始めとしネット上にどんどん溢れていることだ。それも当然の如くフリーで。
高価なアンプを揃える必要が「趣味」以外には見あたらなくなって行くだろう。実に今の時代に合致している。

シンセサイザーの黎明期からそこに触れ、DTMへの流れをリアルタイムに実践し、実演家やスタジオ等から実質仕事を奪って来たとも言える僕自身の立場からすれば KEMPER の登場も時代の必然に感じる。
でもそのことによって職人的技術が守られなくなって行くことはとても残念なことだ。

時代は難しい岐路に立っている。
-----------------------------------------------

*現在のレコーディングでの最大の難関「ホンモノのエレキギター録音」が自室でクリアできる様になってしまった事は、レコーディング業界にとってだめ押し的な大問題でもあります。防音材も防音室も必要なく「リアルな」アンプの音を録音できてしまうのです。

*KEMPERでちゃんとプロファイリングすると、実機に立てたマイクからの音とKEMPERからのラインの音とは全く区別つきません。演奏している本人には(ちゃんと弾ける人なら)違いはわかるかも…のレベルです。

PLASTICSの昔のツアースケジュールが今頃回って来た。興味深いので公開します。
ガンバッた日々。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

[ first U.S.tour 1980 april ]

Apr.3 tokyo-seatle-N.Y. JFK
7 tv taping uncle floyd show
8 mudd club N.Y.
9 three interview video shoot for "good" at prauda
10 hurrah N.Y.
11 hurrah N.Y.
12 irving plaza N.Y.
13 fly to san francisco 12 pm AA 017
15 U.C.berkeley california opening act for ramones
18 mabhay garden S.F.
19 mabhay garden S.F.
21 fly to L.A.13 pm UA 564
23 whiskey a gogo L.A.
25 madame wong's china town L.A.
26 madame wong's china town L.A.
28 fly to honolulu 11:10NW -021
30 fly honolulu to tokyo 17:00 NW-021
may 1 arrive Tokyo

[ second US tour 1980 august-september ]

Aug.3 hurrah NYC with strange party(kraus nomi joey arias)
4 malibu beach club long island
5 paradise theater boston
6 danceteria NYC
7 off
8 the edge toronto fly NY to toronto
9 the edge
10 fly toronto to NY
11 university of maryland washington w/ B 52s
12 emerald city N.J.w/B-52s
13 emerald city
14 off
15 boston boston in boston w/B-52s
16 boston boston
17 off
18 malibu beach club w/B-52s
19 hard rock cafe hartford conn.
20 off
21 uncle sams buffalo
22 detroit
23 agora cleve land
24 cleve -NYC
後の資料は紛失。

[ plastics itinerary '81 europe U.S. & Canada tour may ]

May. 1 check in London heathrow terminal2 at12:00 KL128 to amsterdam
2 paradiso amsterdam
3 LH091 amsterdam to Hamburg
4 LH 122 Hamburg to paris Orly
8 AF872 paris charles de gaulle London heathrow
open shuttle London/Edinburgh

19 London -new york
20l left bank mt.vernon N.Y.
21 the bottom line N.Y.
22 peppermint lounge N.Y.
23 paradise theater boston
24 off drive to montreal
25 le club montreal quebeck canada
26 beacon arms ottowa ontario canada
27-28 the edge toronto canada
29 clutch cargos detroit MI.
30 park west chicago Il.
31 off
June 1 duffys minneapolis
2 drumstick lincoln nebraska
3 drive day to lawrence kansas
4 drive day to texas
5 hot klub dallas TX
6 clubfoot austin TX
7 agora ballroom houston TX
8 driving day
9 ol man river new orleans
10 day off
11 day off
12/13 688 club atlanta GA
14 day off
15 the pier north carolina
17 driving day
18 930 club washington DC
19 emerald city NJ
20 the ritz NYC
21 off
22 fly NY-SF
23 off
24 galactica 2000 sacrement CA
25/26 old waldorf SF
27 the catalyst santa cruz CA
29 day off
30 to LA
1/2 the roxy LA
3 perkins palace pasadena,CA
4 fly LA to honolulu
5 honolulu